Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

言葉から離れ続ける

先日、楽美術館へ伺った。

 

 

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うわっ、と声がでてしまった。

 

 

そのあと、何回ももどって観ながら、すげぇ、とかつぶやいていて、なんで、なんだろうと考えた。

 

 

なんで、の言葉の後には、これがいいのか(わかんないけど、なんだかすげえ)、とか、この色が(なんなのよ)、とか、この佇まいが(どうだっていうのよ)、などなど、永遠に続きそうだった。

 

 

しかし、どれもこれもとってつけたような問いで、自分の中で出てくる答えになりそうな言葉も軽々しく、全く要領をえないというか、ダメだなと思った。

 

むしろ、黙って、黙ることで、観て感じなければダメではないかと。今更ながら、そんなことを小林秀雄が言っていたのを思い出した。

 

 

衝動と言い換えていい、あの素直な反応を大事にしよう。こぼれ落ちるものが多すぎる。それには言葉から積極的に離れなければ。

 

 

ただ、この楽吉左衛門さんの、名前もつけていないこの作品、じわじわと、いろいろな思いが浮かぶ。まだまだこんなにもそぎ落とすところがあったのか、とか、この長い時代の中のどこに入っても、この作品は原点として成り立つのではないか(それって、たいへんなことではないか)とか、なぜ、わっ、っとおもったのか、その中身が少しずつ見えてくるのはこれはこれで嬉しい。しかし、嬉しいのは、反芻できるうれしさなのかもしれない、と。つまり、最初の、やはり突発的な、衝動的な心の動きの重さと分厚さと比較したら、どうにもこうにも、軽いなとは思ってしまうけど。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/