Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

空回り

いろいろなところで空回りしている

 

これではダメでしょ?

このままではダメでしょ?

 

ダメという理由は?といわれて、理由を重ねたらすぐに主観的なところでとまる。それはあなたの印象ですよね?って、気持ち悪い対応が返ってくる。

 

「誰も分かってくれない」「孤独だ」とか適当なことをこちらはいって、自己防衛を始め、どんどんと溝が深まり、自分だけが頑張っているという甘美な考えに陶酔してゆく。「あれだからダメなんだ」とかとか。

 

そもそも何のために?その前提は?というところを問い続けるのが科学的立場ではないのか?研究をやっているのであれば許すけど、学問をやっているのであれば、それでは許されない。1つの活動で得られた考えを別の活動に反映させて始めて学問の窓が開くのではないの?何をやっているの????

 

空回りしているときの本当にやっかいなことは、一生懸命やっていることだ。ハムスターが一生懸命ホイールを回している絵が頭に浮かぶ。何も進んでないよ???目的はそれを回すこと???ホイールがPDCAにみえて仕方ない。でも、Aまで回っているだけましじゃない?いや、Checkとしてホイールが回っていることでOKとしていたらあほでしょ、とかとか。

 

本質が、やるべきことがみえていなかったら、やるべきことではないことが分からない、排除できない、だから一切合切抱え込んで動けなくなる。高校の頃から変わってないじゃないか。どうするつもり???

 

ただ、すこしだけ成長しているのは、すこしだけ、回りに助けを求められそう、というところか。そこを頑張らねば、本当に何も成長していないことになる。

 

さあどうなるのか。

失わないとわからないのか

プロスペクト理論だよ。わかってますよ。

 

失わないとその価値は分からないのかも、身に染みて価値を認めないのかも。

 

正当な、正確な価値なんてあるかどうか知らないけれど、とにかく悲しいというより、ただ、呆然としてしまう。唖然茫然呆然、何が何だか。

 

ただ、ひたすらに濁った音の重なりが消え掛けるところを追いかけてる。

 

本当にいろいろと、ではなく、活動全体の底上げのように、励まされていたんだなあと、表現は間違っているけど、しみじみと感じる。さめざめと感じる、かも。

 

ボート部の合宿所で、ふと、西村さんがいるんじゃないかと思うことがあるけど、あんな感じだ。風をふっと吹かせてくれていた人の存在は計り知れない。果てしない。

 

どう嘆いていいのか分からなくなってる。嘆くことすらできなくなっちゃってるなんてゲンメツというか、自分にガッカリだ。

とにかく

親友にもらったヘッドフォンで、ただひたすら聞こえなかった音を探す。

 

買った曲はいらんリミックス入ってた、、またやっちゃった、、、

 

音の色と消え方ばかり気にしてるけど、もう、それはそれでいいや。

 

言葉が軽い。芯がない。秋のせい。

答え合わせの連続

いろいろなところで、自分自身の答え合わせをすることで愕然としたり(きっついよな、ぁ+あれではだめなんだよな、ぁ)、周りの人に対する自分の考えについて答え合わせをすることになり、ますます落ち込んだり(もっとできたことがあったんじゃないのか)。

 

当たり前だけど簡単じゃない。乗り越えるべきものと分かっちゃいるけど、そんなに強いわけじゃない。とにかく考え続けないと。自覚的に、少しでもずらす、少しでも揺さぶる。実は思い切りやってみたところでたいした変化にならないくらい、自分自身の違和感への違和感は、慣性力は強いのだから

 

イナーシアって言葉をほんとこのところ一日何十回も考える。慣性力?組織生態学で知った言葉だけれど、自分自身がまさにこれの塊だ。

 

ほんのちょっとの抵抗、たとえば、ずっと好きだった曲をぱっと検索して買ってみる。車を止めて少し流してみると、きこえなかった和音がやっぱりある。今まで何を聴いていたんだろう、だけど、ここで見つけられたのだから、今までよりは少し抵抗してずらせたんじゃないの?とか

 

ズラシって、スキゾキッズ?読んでないけど。

ワンオペで分かる

ストレッチしながら英語の勉強して、、、とか、「自分の」時間がとれるのは、いろいろとかみさんが当たり前のようにやってくれているからなんだよな。この緊張感で平日毎日頑張ってくれていると思ったらほんま有り難いというのじゃすまない感じでありがたい。

 

運良く晴れそうだし洗濯物夜ほしちゃうかな。

何をどう測ればいいんでしょうねぇ

入門講座 地球環境問題へのとびら
富栄養化─森林生態系の窒素─」 木庭 啓介

というので書かせていただきました。

 

bunseki.jsac.jp

こういう活動はこれで当分お休みとします。違う活動でがんばらないといけません。

ほんまあほらし

したてにでてたらちょうしにのりやがってー って思うことはある。あまりないだけに、たまたまあると、かなりその感情に引きずられる。

 

そんな状態で、言葉が圧倒的に足りなかったり、同時に無駄なことを付け加えていたり。前者は「めんどくせー」、後者は「まったくもー」って感情によるのだけれど、それって言葉に乗せるべき感情じゃないでしょ? と、踏みとどまることができないのが、感情に引きずられている状態。

 

あーあ。とりあえずコーヒーでも飲みましょう。

 

そういえばほんまは今頃標茶だったんだよ~

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/