大江健三郎にしても、坂本龍一にしても、徹底的に読んだり聞いたりしていたんだという当たり前のことを思い出すのとともに、どうしようもない喪失感がある。どこかの時点で、もう読まなくていい、聞かなくていい、戻ってくるのは70歳くらいでいい、と思っていたのは確かなんだが。合わなくて良い親友のようなものなのかもしれない。
武満徹、谷川俊太郎、大江健三郎、小林秀雄、埴谷雄高、これだけ残してあとはすべてだれかにあげてしまってもういいんだろうな。これらでも多すぎるし、思い切って、一冊とかに絞らないといけないか。