Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

戻らない、戻らなくていい

どうにもこうにも我慢ならなくて、処分すると決めたCDの山(といったってたいしたことはない。全然1000枚には足りないはず)から Media Bahn Live を引っ張り出している。

 

1986年。中学生に4000円は大金だった。中三だったと思う。

 

確かにそうだったと思う。NJPはNJPで、NYCにいったときにこれがあのNJPじゃないか!と小躍りしたし、確かにとてつもない衝撃を受けて、楽譜を買って、ただひたすら戦場のメリークリスマスを練習したんだった(ピアノなんて習ってないのに)。このMIDIピアノの衝撃は計り知れなかったし、鐘のようになるシンセの音が蒼く見えたのが、おそらく音が色を持って見えたはじめてだったはず。Dear Lizも弾いてみたかったけれど、何度も挑戦しかけたけれど、さすがにこれは無理だと諦めたその諦めた感情の生々しさ(よそよそしさも)、Gymnopediesを聞いたときの初めての違和感と、ONGAKUを聞いたときのなんとなくほっとした感じと、、、ライブなんて行ったことはなかった(高1になって友達のライブを見に行ったのがはじめてで、本当のライブは高2の東京ドームのStingだった。高3のブルーハーツは体育祭の会議を優先して後輩に譲っちゃったんだった)から、なにがなんだかさっぱりわからない音源をただひたすら、ただひたすら聞いていたのだと思う。EX-JAZZはこれはスタジオ録音なのだろうけれど、ライブにそんな音源が入るとか、もう何から何まで?????という状態で、その?????という状態すらわからないまま、気づかないまま、ただひたすらに聞いていたのだと思う。

 

もうほとんど泣きそうになりながら笑ってしまうのは、自分には全くグルーブ感が感じられないのだ。あの頃の興奮はかすかに思い出せるのだけれど、音自体には興味がわくのだけれど、正直、グルーブ感は自分には感じられない。それが衝撃的だ。

 

鳥肌が立たない体の正直な反応と、ただひたすら聞いていた頃の淡い、しかしずっしりとした感情のギャップが重い。最後のPAROLIBRE~ETUDEも、練習したんだった。したはずだ。途中までだったかもしれない、弾きたいところまでだったかもしれないけれど、この最後に明るい、賛美歌のようなメロディーに救われていたんだった。

 

重いギャップを、ぼんやりたき火を見るように見ていたら、なんてことはない、変わったんだということに落ち着いた。変わったんだ。いろいろなことが。戻る必要はない。昔が良かったわけでもない。ただ、そのときどきの瞬間、真剣に向き合っていたのであればそれで充分じゃないかと。過去の自分を否定することも肯定することも必要ない。ただ、その瞬間を思い出せばそれで充分じゃないか。

 

とおもっていたらCDがとまる。PAROLIBRE~ETUDEの1:04で止まってしまう。それもまたよしか。

 

Twitter経由でこの武満徹坂本龍一の下りを読んで、ぐっときてしまった。一つの音からどれだけのことを感じ取り、それを尊重しながら批判してきたのだろうか。音で会話することのできる人々の会話は、想像することすら難しい。

 

mikiki.tokyo.jp

 

今日は新入生に「自分の輪郭は外からの反発として、または内なる思いの先に形作られる。これまではどうしても外からの反発を通じて自分の輪郭をなんとか作ってきたと思うけれど、これからは、内から、expressionが表現であると言うこと、絞り出してこそ表現だと言うことを考えて、自分の好みを、感情を、外に向けることで、必死で絞り出して、自分の輪郭を作っていってほしい」といった。嘘は一つもない。では、50を優に過ぎた自分には、何をどう伝えるつもりなんだろうか。

 

それは、ただ、進め、なんだとおもう。もはや進むことが上昇とか向上とかに繋がるはずもない状況だからこそ、進め、と。後戻りは必要ない。そういうことなんだろう。進んでいる方向が後戻りと言うことが実はかなり多いのだと思う。それでもいい。止まるよりましだと言うことだ。

 

CDは止まったままだ。それでいい。止まったところから出発しよう。

 

 

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/