Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

共有するコンテキスト

共有するコンテキスト、が問題だ、というのはむかしむかし、O田さんが学生の頃、ARの話で強調していたことで、ずっと頭に残っている。これはVRとかARの話だけでなく、自分たちの周りの「リアル」な世界でも同じことだからだ。それを共有していると思える空間とそうではない空間、そこをどう考えるか。

 

今の自分は、この共有情報に問題がある。たとえばある活動の質について、他の人とずれている。高い低いであればわかりやすいけど、おそらくそうではない。ずれている。これは問題だ。ただ、それをどう直したらいいのかわからない。

 

周りにかなり悪影響を与えてしまっている。いる、とおもう。ここも問題で、わからないのだ。懸命に予測して、予想して、覚悟して、口にしているだけ。口先だけ。

 

もがき方を身につけるのか、もがき方を模索するのが大学時代だ、なんて偉そうなことを新歓で言っているけれど、いやいや、50過ぎてすべてを疑い始めなければならない中、どうもがくかなんて考えてもみなかったのよ。たいへんだわこれ。

 

更年期ってのでまとめて片付けられるといいんだが、問題は自分の身体の外に出てしまっている。そしてどんどん逃げて、薄まって、そしてそして拡大してゆく。捕まえられない。

 

共有と言う言葉の危うさにようやく気づく。おおおおお。

 

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/