Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

届いているということ

違うんだ、それは違う。

というのが届かないとき。届いていないのか、届いているけど受け取ってもらえていないのか。そして、受け取ったとしているのだけれど、その受け取り方が違うのか。

 

どこまでを共有していて、どこからが共有できていないのか。

それは話さなければ分からない、と簡単に言うけれど、話しているのに、その中身が話になっていない、という自体には気づけない、その結果なのではないか?そうだとしたらいくら「話して」も、話にならないのでは。

 

誤配だって届いているのだ、と思うと、言葉が出ない。誤配以外ないのかも。その前提でものを考えるべきなのか。しかしその「こみゅにけーしょんこすと」とやらは、いかほどなのか。

 

 

頭を抱えてみるが、そのことで、何が変わるわけでもない。やめとけ。ポーズはもうたくさんだ、と中の人が叫ぶ。ほんまや。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/