親身に話を聞いて反応しているつもりなのだ。
しかし。反応なのか、対応なのか。
人としてむしろ反応したいのだが、ワンクッション置いて、対応していないか?そのワンクッションの中に、何かしらの欲がまぎれてないのか?
「科学者」だから、たとえ本心の中に1%でも違う可能性があれば、そのことに言及してしまう、、、このことが日常に大いなる混乱を招くのだが、、内省が弱くなる理由にしてはいけないだろう。
しかし、、、
40年前、自分はこの湖畔のどこかで、とにかく目立たないようにがんばっていた。努力の仕方などわからず、とにかくがんばってダメになろうとしていた。調子を悪くしようと、やる気がないどころかマイナスな感じを、怒られるラインが全くわからないままだすのに全力を注いできた。3ヶ月の長い格闘がもうすぐ終わる、最後まで気を抜かずに、ダメで行く、と。
あの頃には欲の雑音、というか口の中に残る雑味はなかった。小さいなりに必死に、アホなやり方で反抗、いや、戦っていた。
いまは雑味が消えないけれど、それでもあの頃よりは、がんばりかたがわかっている、、、と書きたいとこなんだが、、、、、
コレジャナイ感といつまで戯れあっていくのかしら。終わりまでなのかもな、、、終わりって?