生態学というあやふやな学問を学ぶことで、前提を常に意識するということはできるようになる。どういう時間スケールで、空間スケールで、何をどこまで考えたうえでの解釈なのか、というところが常に問題になるから。問題にならないようにすることが学問的な究極目標である(メタ化、超階層、なんと呼んでもいいかもしれないけど)とはいえ、そこにはまだまだ当分到達できないし。
たとえば、人事制度の根本的なところで、何をどう考えないといけないのか、自分のような "ミドルパフォーマー" をどう扱ってゆくのか、ということの大前提が、50年前とは全く違うし、10年前でも違うだろう。その当たりをどう考えて、そして「前提は変わりうる」ということを念頭に、何をどう考えてゆくべきか、、、ということなんだよね。これって、生態学な話なのよね。。。っていっても、なんのことだか?って話なんだけど。
哲学エッセイが求められているのと同じように、生態学エッセイが必要なのだとおもう。思うけどなかなかに難しい。