これまでどうしてもいい音で聴きたいものは、最低ラインをCDとしていたけれど、ついにPatの音源も配信で買うことにした(で、携帯でただ流している)。
昔のラジオ的に聴きたい時間帯であることは確かだけれど、自分の耳の衰え、そして音楽と向き合う時間がない、それでも聴きたい、ということを考えると、通勤時間しかない、、となれば、努力すべきはあとはタイやなんとかしたら?ということくらいで、音源の微妙なところは自分にはもうtoo muchだと判断したわけで。
自分がわからなくなってしまった、感度が鈍ってしまった、と認識することがこれほどきついとは想像していなかったけれど、認めないと先に進めないわけで。
日々の小さな所作の中に、少しずつ、諦めを滑り込ませる。ずっとやってきたとはいえ、この数年、加速が著しい。もっと、指数関数的に加速してゆくんだろうな、、、何を残すつもりなんだろうか。