敬意を払うことに疑問を持つならば、、、相手への敬意は翻って自分への敬意だ、とでもいうしかないのだが、その一回転半はわかってもらえない。
わかりやすいことばかりをおいかけること、の大きな弊害の一つはこのようなこと。つまり自分の所作の影響を、繋がりを、連関を、軽んじること。そして自分を軽んじることになること。
それがどうした?と言われてしまうと、こちらはもう手立てがない。馬に水を飲ませることは、どうしてもできない。昔はできたのかもしれないし、今でもできるのかもしれない、他の人ならできるのだろうが、自分にはもはや時間も気力も有限で、実際限界を超えていると思う。
そんな午前3時前。