さて、、、理解といいながら、絶対的な理解ではなく、相対的な理解でしかないことがほとんどな訳で。となると、じゃあ起点はどこにおくのか、相対的な比較の原点をどこにとるのかという問題が大きくのしかかるわけであります。なんであれ。
環境問題において、ターゲットイメージをどこにおくのか、というのは永遠の課題かもしれないね、なんていっておきながら、自分のことになると、そういうことを考えず、ちょっと前のところが原点だなんて思い込んじゃのの、学問をやっているとは言えないよなぁ。。。
本質的に、どこが大事なのか、どこに戻るのか、というか、戻るべき場所なんてあるの?ってちゃんと考えよう。もしかしたらそもそも、ずっと歩んできた?その道のようなもの自体、間違ってたりするんだぜ?