Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

重箱の隅をつつく

高校の時に、tの横棒とiのドットを、、とか英語で言うってのを変なビジネス英語紹介本で見たんだけれど、そんな風に言うのかな?重箱の隅をつつくって。

 

 

それはそうと

 

 

自分は、まぁボート部の頃から「なんだか分からないけれど、この人がいるとなんだか良い感じになる」というような人の評価とかを考えたかったのです。それが研究になって「見えないけれど実は大事ってのものがある」というようにちょっと整理されただけで、根本は全然変わらない・・・・

 

 

森林土壌、特に針葉樹土壌は貧栄養・低pHとかで、硝酸イオンは生成されないし、重要じゃないとされていたわけですわ。実際測定すると量(濃度)低いし。対極にあるアンモニウムイオンは生成されているし、量も多いし、そっちだよね、ってことで。でも、Eric Davidsonの1990年のEcologyの論文で、15Nを用いた同位体希釈法でみたら、実は硝酸イオンの量が少ないのは、かなりの量が生成されて同時に消費されていたからで、むしろ少ない量=活発に回ってる=大事!ってことなんだ、って論文を修論の時に(すでに出版されて3年経っていた)感動しながら読んで、、、で、その影響を引きずっているだけなんだよね、ってこと。

 

 

上に書いた人の評価では「ポテンシャルはあるんだけどね」というような言い方をよくしていた気がするのです。でも、そのポテンシャルってなんなのよ、とか、そのポテンシャルが発揮されていないってなんなのよ、とか、発揮されているかどうかってどう評価しているのよ、とかとか、、、たしか、林業工学のレポートで、作業員の評価をどうすべきかということを書いたときに、勝手に熱く語ったんだったと思う。

 

 

でもでも、実際の人物評価とかしなきゃならない立場になってかなり経って、このポテンシャルって大事なんだよなと改めて思うし、そのポテンシャルが発揮できないなら、その発揮できない原因を考えて改善しなきゃだめじゃない?って当たり前のことを強く思うようになったのです。

 

 

なんの話なんだ、、で、研究に戻って、、、たとえば窒素循環って微生物生物地球化学という側面が強いわけで、微生物がどう生きてるの?ということを考えるわけだけれど、そのときの情報のほとんどはポテンシャルなのよね。いまはgenome情報からfunctionのpotentialが見えてくるし。

 

 

で、自分としては「そんなポテンシャルで話してなんになるの?」って啖呵を切るわけです。現場で起きていることは違うでしょ?ポテンシャルはポテンシャルでしかないでしょ?!?!とかね。

 

 

でも、一瞬威勢は良いけれど、でも、正直どうなの???って思うのです。このところ。「そればっかじゃん」って。いつまで重箱の隅をつついているの?って。

 

 

たとえば窒素じゃなくてリンだと、環境中にもう使いやすいリンなんてほとんど見えないです。濃度・量として検出されない。だけれど、微生物やプランクトン、植物がリンを必要としていることは生物学的に明らかで、じゃあ、この濃度として検出されない現状はどうなの?となったら、単にむちゃくちゃみんな必要で、あったらすぐ吸っちゃうからないだけよ。と素直に理解するのよね。自分も。

 

 

これは濃度や純生成速度がその利用可能性とは一致しない、ということの最たるものな訳です。濃度も純生成速度もゼロだけれど、リンは使われている、ということをみんな了承しているから。しないとおかしい議論になっちゃうからね。

 

 

いっそそこまで劇的に濃度や純生成速度と利用可能性の乖離があればよかったのかもしれない。窒素は中途半端なんだ。そんなことは分かってる。問題は、その中途半端にどう立ち向かうかでしょ?分かりそうで真にわかることはない、、のか、、、も???とかいう曖昧なところをどうひもとくのか。

 

 

それを、もう最後に、なんとかして自分の実感として、データとして見てみたい、とおもって科研費書いているのであります。落とし前は自分で付けないと。だめならだめで。なんかおっさんが騒いでいたけどたいしたことないなぁ、、なのか、以外と重要だったよね、となるのか。自分でけりつけたい。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/