Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

諦めて進む

このところ、運転がまずい。

普通に走っているときは、高速も含めていいのだ。問題は車庫入れのときなどのちょっとしたときの視野が極端に狭くなっている。

 

理由は2つ頭に浮かぶ。

1つはちょっとした体の不調。堅さ。首を振るとか、その動作の中にどうしても堅さがあり、可動域が狭くなる。ほんの少しかもしれないが、それが閾値をこえるこえないのギリギリに来ているのではないだろうか。

もう1つはそこはかとなくある焦り。何に付けても早くしなきゃ、とか、もっとあるのは、他の人に迷惑かけちゃだめだ、という焦り。その焦りのために、0.1秒を惜しんで注意が散漫になっている。

 

 

そんなことを思いながらの休み明け。ああ、こういうことか、、と思うくらい朝からトラブル続き。帰ってきてほしいメイルが帰ってきていない、m/z 28は高い、大丈夫だろうと思っていたことが全くだめでとりあえず全く前に進めない、きちんとやったと思っていたものができていない、、2週間と思っていたら実は3週間経っていた、、など怒濤のように「うまくいっていない」案件が午前中に流れてきた。

 

 

全般に仕事は進んでいないし、その進んでいないことが足踏みしているのだ、と積極的に思える感じではない。単に停滞している、動けていないという感じが強い。COVID-19のせいだけじゃない、これは。

 

 

などとつらつら考えていると、今度は大きな話の情報交換で打ちひしがれる。そんなに差がついてしまっているのか。自分たちが「できている」「やっている」ということが実に視野の狭い範囲での話なのか、という当たり前のことを見せつけられる。ただ単に「危機感」の表れでしかない=危機感がない、ということ。危機感は印象でとどめてはいけない、それを跳ね返す行動を起こすところまでまずは行かないといけない、が、その「余裕」は本当にあるのか?とか。

 

 

などとつらつら考えながら、せめてなにか少しでも前に、、と、(愛しの)ポリカーボネート瓶(これも洗浄途中で止まってた)を洗っていたら腰を痛めてしまった。机や椅子は自分仕様にできても流しは無理だ。朝からコーヒーカップを狭いところで洗っていたこともあったかもしれない。あいたたた。

 

 

読むべし!と画面に開いてある原稿も、pptも、試すべきRのスクリプトも、何もかも中途半端、、、、なにからなにまでほんまぽんこつだな、おっさんよ、、、とおもってちょっと呆然としていたところ、仕事のofferが。とりあえずzoomで説明を受けることに。しかし、こういう仕事こそ「おっさん」がやるべき仕事だよな、とおもって、ちょっと気持ちが上向く。自分でもできそうな、貢献できそうなことがあるかも。

 

 

しかし、一方で、このところ勉強すればするほど(勉強といっても本を読むだけだ)、たとえば仕事の評価や人事というものの底知れなさに圧倒されているのだった。自分の意見を(いわゆる「大所高所」から?)述べることには責任を持てる。ただ、そういった意見を「まとめ」てゆくことが、本当に重要なのか、妥当なのか?そこに自分なりの意思を(結論にはならないだろう)持てないと、そういうお仕事はやはり難しいのではなかろうか。

 

 

DeanになったBが「自分が点を取るのではなく、ポイントガードになるのだ」と書いていたけれど、自分もそうはっきり明示的にいいながら、自覚を持って行動する、もっと端的に言えば「諦めて、それでも前に進む」と言うことを思い切って前面に出す必要があるのではないか、と強く思う8月になっている。調査が楽しくて仕方なかったこと、それを踏まえても、自分は調査に行ったり、それこそ濾紙を450度で焼いていたりしてはいけないのかもしれない(今朝やってた。パスツールピペットも)、と諦める必要がある。ある。絶対にある。何のためって全体のため、じゃなくて、全体を考えたいというあまりメジャーではないらしい特性を持った自分のため。

 

 

そう諦めて進む、とおもったら、見えること、できることは違ってこないだろうか?自分自身ははっきりと、今は余裕がないと、ないところまで頑張っていると思っているので、これ以上なにかsomething newをやると言うことは、何かを切ることにつながる。でも、うまく切ることができるのじゃないか?Aという業務のベクトルを少し外向きに変えることで、学生さんへの教育機会として与えることができるのではないか?とか、限られた予算を、どうしてもやらねばならないことに思い切って配分するとか、そういう「工夫」ができるのではないか?とおもう。

 

 

余裕がないなら工夫を、なんて方向性は、敗戦に向かった軍がまとっていた空気そのものでまずい。が、そこに適切な熱をきちんと込めることができれば、、、、さて、しかし「適切」とは???

 

 

ポンコツ度合いを記録する意味も含めて書いておく次第であります。積極的に諦める、ということを考えよう。どんどん諦めよう、じゃないわよ?

 

 

 

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/