Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

引用って難しい

特に論文の序論における引用について、考えるべきことは


* 歴史をしっかりひもとくだけの情報を与える
* 関心を持った読者がしっかりとその学問分野を一望できるように網羅する
* あるトピックについて、一番「よい」論文を引用する


などであろうか、、、、2番目の「関心を持った」というのはいらないかな。


たとえば窒素飽和な論文を査読するときに、Aber et al. 1998に一言も触れられていないのはどうか、と思うけれど、こればかりが引用されているものも、あらあらちゃんと読んでないでしょ、という感触を持つ。そんな視点で、ぱっと序論を見て、引用されている論文が作り出す論文相互関連地図と、自分であれば作る地図のずれをみて、論文の質を判断することも多い。だから、イントロをみて、10秒もたたないうちにああ、これは読まなくていいよ、なんて学生にいうことができるわけだけれど。簡単に言えば、きちんと読んで、きちんと考えて、きちんと選択して引用しているかどうかは、少なくとも自分がかじっている分野であればすぐにわかる。引用の質が悪ければ、序論の質がよいわけがない。


むろん、ちょっとずれている論文からは学ぶことが多々ある。しかし、そういった論文は実はあまりない。このことを感じるときに、まぁ、長年こちらもやってきてるからな、と思う。この辺は傲慢でないといけない。自分の地図には自信を持たないと、その改訂を思い切って、納得してできないし。


しかし、僕の引用の流儀はちょっとほかとも違う気がする。端的に言えば、論文数が多い。様々な分野で、なんてかかれたら、かなり広い範囲を紹介するし、その結果、論文を多数引用することになる。これがいいのかどうかはわからない。が、少なくとも、卒論、修論においては、著者、読者ともに視野が狭いし、論文にどう接したらいいのかわからない人が多いことも考えて、引用文献は、よいものをできるだけ引用するようにと指導していることが多い、様に感じる。


むずかしいなぁ。とにかく、今年の添削で今までにないのは「この論文で本当にいいのかもう一度考えてみて」というコメントを積極的にしていることだ。これがどう響くか、そして学生さんがどう対応できるのか、をみなければならない。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/