Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

美化せずに過去を振り返る

自分が学生の頃、どうだったのか、と振り返る時の、自分の姿は、本当に冷静になってみたら、博士課程のころが多いのではないか、と気がついた。例えば、時間の使い方にせよ、議論の質にせよ、学生さんにいろいろ言いたいことはあるけれど、まてまて、基準はどこなんだ?博士課程と卒論修論はだいぶちがうだろう!



自分が4年のころどうだったのか、を話してくれる人は実はいないのかも?自分でなんとかするしかない、、4年のころ、、うまく思い出せるのか、、?


# ゼミでは発言するなんて夢のまた夢。まともに発言できるようになったのはD1の終わりくらいではないか?


# 月曜だけ休みで毎日琵琶湖。朝の練習を終えて、電車か自転車で10時頃研究室につき、17時には部活にもどっていたはず。土日もなし。毎日研究室には行っていた、とはおもうが、、、でも机もPCもなかったはず。合宿所では主将が寝不足ではまずいから、毎日10時には寝ていたはず。この生活はM1の8月まで。


# 院試は、6月から試験対策を、ちゃんと、したつもりだった。過去30年くらいの英語は多分全部解いたし、専門もあるだけの問題はすべて解いた。けど、英語単語の暗記まではやらなかったし、違うところの院試は問題すら見てなかった。今思えば、何やってるんだか。インカレと大学院入試2つ。7位にしかなれず、2日後院試、さらに3日後院試。なんとか、農学部にぎりぎりではいる。あとになってあの院試はひどかったと多くの人に言われる始末。


# 院試勉強中に大雨。水が取れすぎて機械が壊れるから足繁く通ってサンプルをとった。このときの雨がなければ僕は絶対にここにはいないし、それどころか卒論が書けたかどうか、、。


# 小さな集まりでやる窒素ゼミでとにかく話して、いろいろ突っ込まれたあと、研究室全体のゼミ。まともな受け答えができていた気がしない。が、同位体をやっていた人がいなかったし、なんとかなった?というか、突っ込まれずにきてしまった、ということだろう。Tさんが留学してしまった9月から卒論まで、どうしていたんだろうか?結局、W先生の下宿に出かけたあの数時間で、すべての解釈は決まっていたような、、つまり、自分でデータの解釈を考えてないってこと!


# 輪読は、統計?ほんまにわからなかった。Wゼミにも参加していたはずだが、同位体スペシャリストがなにをいっているのかさっぱり。


# 卒論を書いたはいいが、日本語にしてもってこいと言われて、??????? 卒論はそのままM1のころ、さらにまとめて演習林報告にしたけれど、そのときの某先生にはいろいろと嫌味を言われた。その先生だからなあ、とおもっていたけれども、いや、まて、ほんまに原稿としてひどかった、という方が正しいのでは?!


# 卒論発表は覚えている。K先生が、濃度の高い時に脱窒が盛んだ、と考えてもいいみたいだね、というような助け舟を出してくださったのに、船を自ら沈めていった、、、。


# 学会発表は先輩について行ってやったものの、手応えなく、Hと、なんだろうなこれ、という感触で帰る、、この感覚はそのまま続き、M2のころは、もう、いいか、てなことを言い合うように。



うーん。これは、ひどいな、、。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/