Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

垂線を降ろしてゆくのは今

卒論、修論、博士論文で苦しんでいるみなさんへ。


苦しいのはなぜかと、一度立ち止まって考えてみるといい。あれもいえない、これもいえない、何が新しいのか、何がわかったのか、重要なことなんて一つもない、なんて暗闇に落ち込んでゆくことも、悪いことじゃない。一度とことんまで落ち込んでみたらいいと思う。


それでも、どうしても譲れない、これまでの自分の努力という感触があって、その努力の結果、ちょっとかいま見た「真実」のような物があるはず。それは、暗闇に落ちて、そこでじっとたたずんでみなければわからない。本当に弱い光しか放っていないかもしれないから。たとえば圧倒的な既存研究の強い光の中では埋もれてしまっているだろう。


そのか細い光を頼りにもう一度立ち上がるしかない。


なんとか光をつかんで立ち上がること。それができて、ふと気づいたら、その光らしき物は、すっと自分の中にあって、すっと身体の芯のようになっているはず。気づいたら、自分からすっとおりている垂線になっているのじゃないかと思う。それを自信と名付けても、気骨と名付けても、アイデンティティと名付けても構わない。


煉獄に向かわなければ手に入れられない物もあるのだろう、ということ。


提出された修論たちを眺めて、勿論完成形にはまだまだほど遠いのだけれど、ちょっと胸を打たれた。少しずつ、言葉が落ち着いて、枝と幹がしっかりしてきて、ぶれがなくなってきて、軸ができてきていて、重さができてきている。あともうちょっと、もうちょっと。


がんばるということはとても素敵なことです。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/