Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

やりすぎかもしれない

学外からいろいろな測定をしたいといってきてくれる人が結構いるのだけれど、ぼくは1人しかいないし、測定はいろいろな大学でのいろいろな場面があるので、対応できるわけがない。そこで、いろいろな学生さんたちが自分の技術をいろいろなところで、僕の変わりにというよりも独立して教えてくれている。ありがたいことだ。こうやって僕の存在が薄まっていけば最高だ。


情報が集まってくるhubとしての役割はとてもある。あの人のサンプルは早く測った方がいいし、でも、あの機械のマシンタイムが埋まっているから、こちらを測定した方がいい、東大には手が足りているから中央大で〜〜を誰かお願い!などと、タクシーを振り分けるように学生さんにいろいろお願いしてしまっている。


気分は勿論非常に悪い。学生さんたちに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。しかし、いろいろな一生懸命な人がきちんと仕事が出来るように、全体を見て考えることが自分の今の仕事の1つだろうと、毎日のように思い直して何とかすごす。個々の学生さんにはきちんと、何かしらの形で同じように誰かの助けが必要となるし、僕も直接・間接的にきちんとcareするつもりである、ということを信じてもらうしかないわけだけれど、みんな本当に気持ちよく手伝ってくれて、本当にありがたい。


これまで渡り歩いてきたどの大学でも、一緒に活動してくれていた学生さんは、結構みんな気持ちよく対応してくれていると思うのだが、それが万が一、もしも、僕の「指導」によるものだとすれば、本当に誇らしいことだと思う。そうではないと思うけれど。一緒に活動してくれている先生方もみんなそうだし(そういう人だけを選んでいると言うことではある)。


一生懸命やろうとしている人に、全力で手をさしのべようとしない人にはなって欲しくない。そういうことを伝えることは研究活動ではないと思うけれど、そういうことを学べなければ大学での研究活動なんてなんになるんだろうとおもう。


また、誰かが何かを教えてくれると言うことのありがたさも、自分がすぐに他の人に教えることを通じてわかって欲しい。自分で何かを教えなければならない状況になることで、自分でわかっていないことがらが明確になる。そして、自分が教えてもらっているときと言うのは、どれだけ相手の貴重な時間と労力をもらっているか、それを、感じやすくなる。一度そこに気づけば、誰かに何かを教えてもらうときに筆記用具を持たすに聞くような失礼な行動をすることは絶対にないはずだ。相手に敬意を払うことは自分に対しても少なからず敬意を払うことにつながっている。そう思うことで腑に落ちる人もいるだろうからそう書いておく。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/