Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

枠組みの中での人間性、に安住せず

本でも映画でも演劇でも、それこそ音楽でも絵画でも、「芸術」とよばれるものに触れることの大事な要素は、自分の「常識」を揺さぶること、自分の外側にあるさまざまな枠組みについて、見えないそれらについて、見えないようにすらされているそれらについて、少しでも見ようとする機会をもらえること、だと思う。

 

 

こんな風にちゃんと言葉にしたことなかったけれど。

 

 

小説などで、とても厳しい「状況」(この言葉でごまかしていることは星の数ほどあるのだな、とおもう)において、そこでも、優しさとか、向上心とか、人間性を保持したり、強固したりというのに、胸打たれる。頑張れと思う。

 

 

一方で、だ。

 

 

すっかり大人になりきってしまった自分としては、もう一度考えなければならない。その「状況」はいったい、どうして成立してしまったのか。それは変えることができなかったのか。そして、そして、そして、その「状況」そして変えることができていないことの背景にある思考、そして結果として実現しない行動は、自分も全くおなじものを有しているのではないか?と。

 

 

自分の設定した、または物語が設定した枠組みの中で頑張る、それはまさに尊い。しかし、一方で、その枠組み自体をしっかり見つけて、比較して、動かして、ずらして、その真の姿を見定めて、それをよりよいものにしてゆく、そのことから、単に目を背ける時間稼ぎをしてしまっているだけじゃないのだろうか。

 

 

自分の目指しているもの、理想としているものが、どんどん遠くなるだけでなく、むしろ真逆が理想とされ、そちらへの駆動力がすさまじいものになってきている昨今、文句を言っていたところで始まらない。水と空気はタダみたいな論理で、自分の理想について考えていても搾取されるだけだということを、いろいろなことから学んできているはずなのに、自分事になると、ぼんやりする。

 

 

枠組みの中で頑張ることは、続ける。必死に続ける。もう1200%で続ける。そこで少しでも人間らしい営みを増やしたい。ちゃんと人として活動できるような秩序を1つでも増やしたい。どんなにひどい枠組みでも、意図は、意思は、理想はあった。運用でねじれてきているだけなのであれば、なんとかねじれだけでもほどきたい。

しかし、もう、しっかり片足は抜けないといけない。どうせエフォート管理なんてできてしやしない。ライフワークバランス、でもライフワークインテグレーションでもなんでもいい。とにかく、少しでも自分が良いと思う方向へ動かさなければ、20年前から何も生長していないってことなわけで。

 

 

と、また、一線を超えたんだなぁ、と思う。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/