Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

人が動く動機としての善意

自分にとって利益があるから、動く。か。

まあそうなんだろうけども、、、

 

 

何かにつけて、裏があるのでは、誤魔化されて、騙されているのでは、という前提でものを考えてしまうと、人が持っている、善意という動機づけを、全く見えなくしてしまう。

 

その筋もあるとは思う。が、自分はその筋では生きたくない。

 

 

しかし、呑気すぎ、甘い、世間知らず、お人好し、おかしくない? と、絶えず言われていると、流石にへこたれる。短い残された時間をどう過ごすのかを考えると、とにかく違う空気に触れなければならないのではと、ただとにかく焦る。違う空気なんてあるのかわからないのに。

 

 

善意という言葉がみるみる萎れていく。善意なんてあったっけ?あらあら、幼稚園の時に広場で悩んでたとこにまた戻ってしまった。

 

 

善意は、自由意志はあるのか?あらあらどうしましょう。甘いものでも食べて、、、なんとか誤魔化さないと、沼からでられませんよ?

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/