なになに、ってあるじゃないですか?
という話し方の呪いはかなり深い。
若者言葉ではなく、あまねく広がっているこの語感。新しい言葉への拒否感ならば、おっさんの戯言で一蹴できるが、これは深い。
判断の外部性を、この絶妙な距離感の中で鍛えられてきているのだ。まさに絶妙。「ありますよね?」は強めの同意を求めるもので、自我が出ていると判断させているのだろう。だから使わない。「あるでしょ?」は次点の策だろうが、まだ1stepのクッションしかないので、「じゃない?」➕「ですか?」の二枚重ねによる距離感の保持には到底及ばない。古い感じの「ご案内の通り」は、相手への敬意があり、そもそも軸がちがう。相手を柔らかく内包することで、拒否や反論を許さない距離感を作る。まさに剣士の間合いだ。
どうする?