Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

「知らなかった」からの脱却

「知らなかったです」という言葉が免罪符になって久しい。

 

知らなかったという状態に対して、知るべき情報は回りにあまたあったのだけれど、それを捉えられなかった、受け取れなかった、大事なものだと認識できなかった、と考えれば

 

「準備ができていなかったんだね」

 

という返しができる。自分が学ぶべきものに対して、そのようなものがあるかどうか、という判断も含め、自ら学ぶ準備をするしない、できているできていない、というのは、自分の責任、自分の問題であり、外部の状況の問題ではない。そうすると、「知らなかった」という外部性に逃げることなく、自分がするべきことができていなかった、していなかった、という自分事になる。

 

逆に言えば、知っているということが、自分の努力の結果であると、きちんと認識もできるはずだ。ただ単に知ることができる環境にいた、という認識ではなく、知ることができる環境を造った、環境にいるように努力した、環境を維持するために努力をしてきた、という、自分の営みの結果だと明確に認識できるはず。

 

様々な場面で、一つ一つの瞬間で、どうしても自分の責任から逃れる言葉ばかりが手ぐすね引いて待っている。何重にも待っている。それをくぐり抜けてゆかないと、いつまでたっても自分の足で立つことができない。これは本当に難しいし、キツいし、何しろうまくいかない問題だ。

 

でも、繰り返すけれど、この努力を怠ると、いつまでたっても自立することはない。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/