小説的な瞬間というものが人生にはある。あるちょっとしたこと、ホンの些細なことで、劇的にすべてが変わってしまうという事がある。あった。研究でやっていけるかもと思った瞬間とか、そうかもしれない。
ま、それはおいておいて。
同じように、たった一言で、それまで造りあげてきたであろうものが、崩れる言葉がある。もっと細かくいえば、その一言で、すべてがばれてしまう、という言葉がある。
それを発する人がいてびっくりするのだが、その言葉がどれだけの爆発力を持つか、分からない間柄というのも存在する。そこではそれでかまわないのだ。
しかし、外から見たら、大変なことが起きている。大事にしているであろうものすべてが台無しになっているけれど、いいのかしら?と。
時間を守る人と守らない人の断絶について何度も書いてきたけれど、それは一つの例に過ぎないわけで。気づく人と気づかない人。見える人と見えない人。見えないのは仕方ない。誰もが最初は見えないのだから。しかし、見えないものがあるかもしれない、と思うことは、見えなくてもできる。そこを一歩踏み出した人と全力で何か一緒にやることで成長したい。教えるとか、見せてあげるなんていうことはできないけれど、一緒に頑張ることはできる。
でも、踏み出さない場合は?
そこが教育職の冗長性たるところ、、、、なのでしょうかね。