Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

効率の罠

効率を語る、その語り口にはものすごく注意している。

 

 

効率は、分母と分子で成り立っていて、分子だけなら「量」とか「数」で話ができる。10やるか、100やるか、1000やるか。

 

 

問題は分母。

 

 

分母が決まるということは、その対象の枠組みが決まること。枠組みを決めることで、仕事をしている気になるけれど、それは本末転倒であることが多い、または、実際になにか新しいことを創造していないことが多い。なぜなら、本当に新しいことをやろうとしたら、枠組みなんて、予定なんて、ほとんど立たないから。ただひたすらやり始めて、数をこなして、その中でうっかりゼロではなく1になったら幸運だった、というようなことが本当に新しい、創造的な仕事なのだと思う。

 

 

逆に言えば、効率とか「コスパ」とかの話をできる「仕事」はそれだけのものでしかない。予定調和であり、与えられた四角の色を塗る仕事。それはそれで大事だけれど、創造はしていないことが多い。

 

 

本当にやるべきことなら、やりたいことなら、効率とかコスパとかいう言葉は出てこない。出てこないところだけが本当の勝負で、本当の仕事で、本当の活動のはず。

 

 

そんなことはわかってる。分かっているけれど、じゃあ、具体的にそうできているかというと全く別。その間のギャップをどう洗い出して、どう認めて、どう改善するか。無論、「仕事」してゆく際には、量・質、数、そして効率を考えなければならない。だけれど、常に比率にはうさんくささを持っている必要がある。本当に、効率のもつ響きは強いから。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/