Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

尊重したら見えてくるものは違う

相手が思考停止している、とか簡単に決めつけるんじゃなくて、思考回転しているのだけれど、結論に至るまでには時間がかかって、見た目止まっているだけ、っておもったら、大分違うんじゃない???

 

 

いわゆる「執行部」的な仕事が増えて、瞬間的な判断が強烈に求められたこの1年、まぁ1年じゃないんだろう、でもこの1年、自分でも怖いくらいに判断が速くなった。一方で、判断を速くしてはいけない場合に対応できていない。教育活動はまさにそうだ。素早い判断が求められる場面もあるけれど、自分の場合、その多くは、じっと待つ、じっと考える、という場面が多く、しかも、とても重要。だけれど、習い性がそこで出る。判断があっという間に出て、その判断がどんどんと大きく頭の中で膨れてくる。早くしないと手遅れになる。早くしないと機会を失う。

 

それは一部正しいけれど、本質的な目的を全く見失っている。目の前の機会損失、それは確かだけれど、大事なことは遠くにある目標にどう近づくか。近づくことの過程をしっかりと受け入れてもらって、自分で進むか、進むためにどう考えて、同一歩を出すか、そこ。結果じゃない。ギリギリまでは。だからギリギリまでは待たないといけない。でも、そのギリギリのラインの設定が、これまでと全然違ってしまっている。

 

 

だれもが一生懸命やっているという当たり前の事実をしっかり考え直すこと、そこからできることは、まずは交通整理じゃないのか、方向の修正じゃないのか、少なくとも否定ではないのではないのか、というところから始める、そう始められるために不可欠な余裕を持つ、ということ。そこに注力する必要をどうして見失ってしまうのか。。。ご飯食べないとダメよ、ってくらい大事。

 

 

先日会いに行った友人が、絶対に余裕を持つようにしている、と言い切っていたことは一生忘れないし、忘れちゃいけない。

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