Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

見えるものしか見えない

自分が間違っているかも、と思うこと、そう思って行動することは、謙遜とかではなくて、間違っていることがそもそもかなり多いんだから当然のこと

 

 

自分はなかなか間違わないから、間違っていないと思って行動することで、自分の意見に重みが増すし責任が出てくる

 

と。

 

 

間違うかもと思えば、その目でみるし、その気持ちで人の言葉を聞くから、間違えが見やすくなる

間違っていないと思えば、そう見てしまうし、人の気持ちのほんとうのところ(これが素直に分からない表現が多いと言うことも問題なのだけれども)をみない。

 

同じ表情を見ても、違うように受け取る。

 

 

後者の立場をとらないと、どうにもこうにもならないことが極端に増えているのだけれど、だからといって前者の立場、自分が間違っているかも、というのは、常に考え続けないと、あっという間に消え去ってしまう。それだけ進めなければならないことは多いから。間違っているかも、と立ち止まることが停滞と捉えられて批判を受けることが多いから。

 

 

ただ、ほんとうに、しっかりと考えたい、それだけなんだけどな。。。。学問でも全くそうだけれど、ほんのちょっとのずれがどんどん広がってゆく、それはなんとかほんのちょっとのずれのところで方向修正したいよね。。。。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/