Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

変えられる?

うまくいっている時期、とうまくいっていない時期、がありますな。うまくいっている人、うまくいっていない人、ということもあるかもしれない。

 

後輩の皆さんの悩みについては、なんとなしに分かることがあるので、その辺話したりするのだけれど、先輩については分からなかった。じゃない。実は先輩たちの状況についても分かったと思っていたけれど、自分がどんどんと先輩たちの状況になってゆくにつれて、見えなかったものがたくさん見えてきて、それで、分かっていなかったことがわかった。逆に振り返ったら、後輩の皆さんに関しても、分かっていたと思っていたことが間違っていることがどんどん分かってきた。

 

そして、何も言えなくなった。

 

これが、まぁ、5年前くらいか。なにもわかんねえ!!!って感じで。何を言っても、相手のためになるような感じがない。

 

しかしそれでも時は巡るし、なにせ、何か言わなければならない場面が増大してくる。そうすると、こちらの覚悟の問題で、相手のためになるなんて、そもそもおこがましい、自分がひねり出した言葉にどれだけ責任をとるかじゃないの、なんてことになり、とにかく、しどろもどろになりながら、何かしら言葉を出す。

 

そうこうしていて5年(ああ、こっちに異動して、ってことか)たって、何かしら言葉を出すことに、何かしらの決断をすることに、しかも早急に、かなり「スピード感をもって」(政治家かいな)やることに、必要に迫られて、慣れてきた。

 

しかし、慣れてきたこととできてきたことはちがう。

 

そして慣れるべきところと、慣れちゃいけないところを混同してもいけない。

 

この2つを直視しないできただめに、かなり間違ってきてしまっている。そして、失礼ながら、うまくいかない、という状況の人は、みんな多かれ少なかれ同じような状況なんだろうと、なんとなく分かってきた感じがある。

 

さらに、、、、分かってきた、というのは勝手だが、じゃあ、それで改善できるのか、というところはまったく別の話、another storyなのだ、ということからも逃げてきた。

 

自分のダメなところがわかり、その原因も分かった。わかったけど、変わっていない。

 

実際には、言い訳させてもらえれば、これでも、分かったので変えてるんです~まだ途中なんです!といいたい。実際いろいろ変えているつもり。だが、変わっていない。さらに悪化してない?ということを受け入れていない。だから変わらない。

 

こんな時はボート部での練習を思い出す。あるテクニックを必死に直そうとしているけれど、改善されない。一人一人やろうとしているがクルーとしてできていないから、というのもあるだろう。その辺も試行錯誤し続けるも改善されない。そんなとき

 

1 もう考えられる最大の出力で、っそれをさらに無理矢理にあげて、「とにかくむちゃくちゃだけど、何かしら見えるだろ」という状況を作る。rate 40で漕ぐ、ならいっそrate 50とか、オリンピッククルーでもやらないくらいのやつやってみる。自転車競技でバイクにひいてもらうような感じ。

 

2 全く別のアプローチをとる。ボートならcatchの練習したいのだけれど、敢えてfinishをあわせることに集中する。ストレッチならハムストリングスが~とか考えてるなら敢えて肩甲骨をやってみたりする。

 

これを現役の時には「おお、これぞ知の遠近法では」みたいになってニヤニヤしていたのだけれど、いまはニヤニヤしている余裕は全くない。まずは1をやらねばならぬ。なりふり構わず、とにかくやる。値を出す。絶対に大丈夫な、絶対に成果が出る、データが出る、結果が出る状況を作り、さらにそれよりもロードをかけて120%をやる。

 

それをやる勇気がないんだよね。。。。言い訳山ほどあるし。

 

さて、変えられますか???うーん。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/