Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

大事な前提

悶々としてる。ちょっと。

 

 

「最近の若い人はメンタルが弱くて」というのをよく聞く。

そうなのかなぁ。

「すぐに辞めちゃう」

「失敗するのを極度に嫌う」

「言われたことしかやらない」

 

などを聞いていると、、、確かにそういう所はあるかもしれないけれど、僕らもあったし、僕らの上の世代だって、アリストテレスの時代だってあったはず(ひどい推論だけどさ)。

 

 

一番大事な前提として

「みんな同じ人間=失敗する」そして「目の前の若者は自分の仲間だ」

というところから始まったら、違うんじゃないかと思うのだ。

 

 

すぐに辞めちゃう、というのは、今の社会状況で、いろいろと選択肢はあるし、そもそも終身雇用が崩壊した今、ある1つの会社に「縛られる」と言うことに対する感覚は今の若者と我々では想像もつかないくらい違うと思う。だから、考えた結果辞めちゃう、というのだってあり得るだろう、と。

 

 

失敗するのを極度に嫌う、というのも、「失敗して学ぶんだ」ということが空気感として漠としてあった時期と、「失敗はまずいんだ」ということが空気感として漠としてある現在とを比較したら、そりゃ、考えたら考えるほど、失敗するのを極度に嫌うようになるのではないかと思う。そして、その先の「効率を重視する」だって、そもそも我々が築いてきてしまった社会が、失敗をやっぱり許さない、つまりはきちんと成功しろ、というものであれば、どうしたって一側面は「効率高く」になる(おおよそ失敗しないように、と同義だから)。いわれたことしかやらない、というのもある種の「効率化」だし、「失敗したくない」と同一線上。

 

 

きちんと考えたら考えるほど、われわれおっさんおばさん世代が「?」と思うような方向に若者は進まざるを得ないと思う。若者にすり寄るわけではなく、単に、頑張ろうと思って必死に考えたら実際にどういう方向に行くのだろう、と考えただけだけれど。

 

 

自分は例えば博士号を取得するために、いろいろやって、とても効率が良いとは思えない状態だったけれど(博士論文に載せられなかったデータ、論文にならなかったデータもかなりある)、これでもいつも「効率」はぼんやりと考えていた。考えていたけれど、効率を上げられる能力がなかったから、「いろいろ失敗して大きくなりましたわはは!」みたいな話をすることができるんだけれども。それって、単に能力の問題。そして「効率がいい」若者だって、僕らが見えないところで失敗しているに決まってる。見えなかったり見せなかったりするだけで。彼らだって神様じゃないから。でも、それを見せない方が良いと判断されるような社会的枠組みになっているんだから仕方ないじゃない?

 

 

この3年間

 

* 人は老いる=体力がなくなる=できることが少なくなる+機嫌良くいることが難しくなる

* 人は経験する=成功体験に縛られる

 

このだれもが否定できない大前提2つからどう現状を理解できるか、というのをずっと考えている。あとは物事は意外と20:80で決まるのではなく、45:55とかで決まっている、ということも(かなり簡単に1つ1つの選択は変わる可能性がある)。

 

これをきちんと考えて、この2つにあらがうことができないと、老害を少なくすることができないと思うのだ(老害をなくすことはできないと言うことからスタートするのも大事なことだろう。少なくすること+反省することが最善の策のはず)。

 

 

ファクトフルネスを意識しながら、自分の偏見を減らす不断の努力を、どうやって行うか。うーん。

 

 

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/