Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

安全地帯

安全地帯と言うよりも、comfortable zoneとここでは言いたいのだけれど、、、私的に和訳できない言葉は使いたくないと思っておりまして、、、

 

 

安全地帯に逃げ込んでいるのではなく、そこでないと生きられなくなってしまったのだ、という話を以前書きました。

 

 

https://keikoba.hatenablog.com/entry/20190619/1560946566

 

 

ただ、もう、考えて、そこから抜け出すことに挑戦し続けない限りは、本当にだめなんじゃないかという話を今日してました。「昭和は競争しても拡大していたので負けが出なかった、平成は競争したら負けが出てきた、令和は競争しないと負ける、生き延びれない、そうなるんじゃないか」とかみさん談。

 

 

赤の女王であり続けることが、充分ではなく、必要になる時代。環境が、状況がめまぐるしく変化し続ける時代であることに異論はないはず。であれば、その変化する環境、状況に対して、どういう立場を取るべきか、も自明であるはず、、、、?

 

 

安全地帯は存在しないのだ、存在すると思うのであれば、それは甘い罠なのだ、と思い、自らを次の段階へと進むように(いや、進んでいるのかはわからない、移動するように、か)鼓舞し、たえず挑戦と失敗を重ねてゆくこと、それが最低条件となる、、、、

 

 

煎じ詰めれば、、、、難しいことではない、、、、「自分で考え行動する」それだけのこと。しかし、それがいかに難しいことか。

 

 

そのことを、そのことを学ぶ、練習することを、大学という場でどう教えるか、出歩けれど、もちろん教科書はない。情報があったとしても、たえずケーススタディーしか上がってこない。その中から「常識」を疑い、新しいものの見方を創造すること。それって、まさに卒業研究でやること、、、なんですよ、と。

 

 

よく言われるように、教育と金銭的な価値が直接的に結びつくようになり、お金を出せば、教育(というより「教養」)そして情報が手に入るという甘い錯覚に突き動かされて動いてきたこの50年のしっぺ返しが来るのか来ないのか、どちらにせよ、自分が取るべき立場はわかっているはずだし、その責任の重さも感じている。2-3年でああだこうだといえるような「成果」のほとんどは本質ではない、その当たり前のことを歯を食いしばっていろいろな方向で表現してゆくしかない。教職も部長職も、副センター長職も、アウトリーチも、ほんの些細な子供達の友達との間の会話も、すべて同じこと。

 

 

頑張りましょう。

 

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/