Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

本当のところ

たしかにとても大事な仕事が重なり合っていてにっちもさっちもいかなくなっている。確かにそうなんだけれど、そこの根本に、自分の能力の不足、さらに能力の悪化がある。認めたくないけれど認めた上で方針を考えないと。このままでは周りに迷惑がかかりすぎる。

 

 

たとえば金曜日の発表、火曜日の発表。あと2つ3つ山を越えないと面白くない、納得できないのだが、そこにいたる知的持久力が本当に劣化している。新しい図を作ることが難しくなっている。こんなことは想像だにしなかった。この状況を乗り越えるやり方を身につけないと。身につかないなら去らないと。

 

 

しかも、その内容がたいしたことがないと言うこともわかっているのでなおさらショックなんだよな。こうしてみると、上の人たち、すごい。

 

 

comfortable zoneから抜け出す、ということをずっと考えている。抜け出すことを考えるのじゃない。comfortable zoneというものがたしかに若いときはあった。で、上の人がそういうところに「あぐらをかいている」と思うことも時々はあった(ありがたいことにあまりなかったけれど)。しかし、今の立場になってしみじみ感じるのは、comfortable zoneじゃないんだ。habitable zone、つまりhabitatだ。木陰に入って涼しいじゃなく、木陰に入らないと死んじゃう、という感じ。あぐらをかいていると思われるだろうけれど、そんな余裕はなくて、そこにいないと死んじゃう、そんな感じなのだ。

 

その状態から抜け出すこと、それは並大抵じゃない。若い頃は、なんでやらないんだろう、と思っていたけれど、そのことの大変さは今になってしみじみとわかるようになった。で、でだ。じゃ、わかった上で、いいわけ並べたところでどうするの?と。

 

 

少しでも進むしかないでしょう。簡単にいい方向に進む事象なんてもうやり尽くしてしまっているし、そうそううまくいかないと判断できるだけの残念な思慮分別もみにつけてしまったけれど、それを、ええい、と振り切るしかない。振り切るには重い、なんというかびしょ濡れの服みたいにほんままとわりついて不快だけれど、そこを超えないと。超えるには3ヶ月なんて昔のタイムスパンじゃ到底だめで、3年くらい頑張るしかない。すでに3年たった。あと3年、歯を食いしばって、停滞しているような状態を、「大きく飛ぶためのしっかりした大地を踏み固めている」と空元気ですすめられるか。正念場。研究だけならなんとかなるのかもしれないが、そういう立場じゃない。でも、そういう立場になって何かしら貢献したいと思っているからこの場に立っているんでしょ?と。

 

 

ってことでがんばりますよー勝つまでは!(うーん、、、)

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/