Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

振り返れば道はまた始まる

さて、、、先日Sくんの学位審査がある程度終わりました。これで前の大学のメンバーはすべて修了となったわけであります。

 

 

ということもあり、関東にいる卒業生の一部のみなさんとあって話して帰ってきました。これでもうこちらから声をかけることはないだろうなと。みんないろいろな出入り(!)が激しくて、なかなか頼もしいというか、20代後半から30代前半って、いろいろ面白いよね、、、まぁ、いつの年代も面白いんですけど。マッチング大事ね。マッチングか・・・・・

 

 

23:30、みなと別れて東京駅八重洲口でちょっとぽつんと一人になりました。D1の頃、全日本選手権が終わって、一人夜行バスで帰るときに、ここから電話したんだったよなぁ、とか、あのときも、なんとも言えない、終わった、というか、次に行かなきゃいけない、というか、なんとも不安のような期待のような、でもやっぱり自分がやってきたことへの未練みたいなものもたくさん入り混じって、ただ、ただ、とにかく次へ歩を進めなければ、とにかく帰らなきゃ、と思ったのを痛切に思い出しました。東京駅近くではそれに限らず、今までいろんな大きな決断をしてきたんだよな、と改めて。さあ、今もしなければ、と。

 

 

卒業生たちの素直な戸惑いが大変眩しくて笑ってしまう。自分もおんなじ道をたどってきたんだよなぁ、、偉そうに昔を振り返っていうだけで、なんにも違いはない。背伸びして、やっぱり合わないと思うことを何十回も繰り返して。ただ、その背伸びするということに対する心理的障害があの頃と今では全く違う。どうやってもまとわりつく言い訳が本当に厄介で重い。それをはねのけるだけの気力を持たねばいけないのに、「現実」という最終兵器(言い訳)が本当にまさにラスボスで、常に降り出しに戻される。

 

 

音楽ならば好みがはっきりしているのに、絵画や写真でははっきりしないのはなぜか、と20代は苦しんだ。30代は、単なる慣れの問題だ、というアタリマエのことに気づいて、とにかく貪るように見た。見たら観えてくるものも少しだけあって、その少しだけで自分の垂線はだいぶしっかりと根を下ろしてくれたように思える。しかし40代になってその垂線が揺さぶられて、切れそうになっている。もうすぐ50代、そこに向かっては垂線を守るのではなく、むしろもう一度切ってしまうことが求められているのだとようやく気がついた。気がついたらじゃぁ、やるのやらないの?

 

 

かっぱかっぱらった、と、谷川俊太郎の詩を子どもたちが口ずさむときに、本棚で全集を探すも、人にあげてしまったことを思い出す。東京駅で感じていたのは、、、検索したら出てきた

 

 

みちのおわったところでふりかえれば

みちはそこからはじまっています

(みち 6 谷川俊太郎

 

 

やるのやらないのって言われたら

 

 

Look if you like, but you will have to leap.

(W. H. Auden, Leap Before You Look)

 

 

Audenの詩集は異国から頂いたのでした。

 

 

大学で学ぶことは、、、たとえば同位体比が高いだ低いだなんてことは本当にどうでもいいことで、、、答えが見えないところでどうもがくか、そのもがき方を学ぶんだ、と言い続けてきた。五里霧中の中であがきもがくこと、本当に闇雲にもがいたって窒息するだけだ、必ずやり方がなにかある、得ておくべき型がある、身につけておくべき遠近法がある、その上でがむしゃらにもがくのだ、ということを言い続けてきた。

 

 

すなおに、それをもう一度、自分にぶつけなきゃだめだなと。

 

 

「おとうさん、今日、学生さんとかに『こういう手抜きをしたらミスをしますから、ちゃんと~~しましょうね』って言ってたのに、自分で大丈夫だろうって手抜きをしたら、案の定大失敗してて、、恥ずかしかったんだけど、みんなにお知らせしたんだ、、、」「あほやなぁ」

 

 

またあの不器用で鈍容な(こんな言葉あるのかしら)空気をあからさまに纏う自分に戻るのか、と思ってどんよりするけれど、自分を鍛え直すには仕方ない。現役自分よりもおそらく3-4倍かかって走っているのと同じように、自分の知識の習得速度や、創造性の発揮などが10倍鈍っているそのことを噛み締めながら、いっそ泣きながらやり直そう。今の時代、本当にやろうと思ったらいくらでも手がある。問題はやるのかやらないのか、それだけなんだ。残っているもの、やらなければならないものは47年かけてふるい落としてきた、苦手なものばかり。でも、逆に苦手なもの、嫌なもの、というものを少しでも開拓できたら、だいぶ違ってくるはずなんだろう。なんだろう、って言い方が本当に弱々しくて苦笑いせざるを得ないけれども。ただ、本当に、老害から少しでも逃げるためには、それしかない。

 

 

みんなで頑張ろう、と卒業生に言いたかったけれども、やっぱりやめた。これは自分独りでやってゆかねば。人生の先輩は先輩らしく行かないと。

 

 

とか思って帰ってきました。

まずは本を読もう。考えよう。アホみたいだけれど、そこからやり直さないと。

 

 

 

 

 

 

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/