Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

つながりへのまなざし

生態学を志したのは、つながりの扱い方を学びたいからでした。


つながりを考える際には、どれだけのつながりがあり得るのか、どのようなつながりがあり得るのか、そのつながりをどう考えて(評価して)ゆけばいいのか、というたくさんの問題があります。その問題の多くは、人間社会における我々の立ち振る舞い、もっと根源的にいえば、生き方、生きるときの指針、そして価値観に直接的につながるものです。


有機的な振る舞いを見せる、または有機的に我々には見えてしまうような「系」(生態系でもいいですが)を考え続けるにつれ、そのなかのある素要素が一見重要でないように見えたとしても(たとえば量的に)、多くの場合、自分達がその「重要性」をただ感じられていない、観測できていない、ということであるということが、学問の歴史をひもとくことで容易に分かります。このことは、素要素の「評価」における言動を自ずから穏やかに、控えめにするものになると思います。


その控えめさこそが科学を志すものの源だと思うのですが、現在はそこをなんとかはぎ取って、「嘘ではないがほらを吹く」という立場で対抗しなければならない圧力が大変高まっています。


ただ、小さな個人としては、つねに穏やかなまなざしを持って、そういった圧力さえも、系の柔軟性を見るための一つのトリガーとして、見つめていけたら、と思っています。穏やかに。


むろん、そんなことではいけないということもあるのだとは思います。もっと積極的に発言せよと。しかし、それこそ京都的に?はんなりと、いなすくらいで、、、、、せめて月曜日の朝のまだ静かなこの時間くらい、穏やかなまなざしというのをもう一度考え直し、取り戻す努力をしたい、と思ったのでした。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/