もののあはれ としかいいようのない感情がある。いや、もののあはれの定義はしらないし、わかりきることはないと思う。けれど、自分で勝手に、これをもののあはれ、ということにしたい、と思いきってしまうような感情が、そんな感情が訪れることが確かにある。
そんなことを夜に話していた。良い夜だ。
もうぼくらは、簡単な感情では泣くことはないし、泣けることはないのだよね、と。複雑に絡み合った感情、時間、関係、全てを受け止めながら、必死に寒風の中を歩いて行くしかない。その中では小さな暖かさも、大きな冷たさも、二面性どころか多面性を持っていて、全てが全て、万事が万事、としかいいようがない。でも、それでも、全てが全てとしてある中で、ちいさな、ほんの小さな暖かさに琴線が触れ、何かしらのわだかまりが氷解して行くその有様を感じることが確かにあって、それを寒風の中確かに感じているというその厳しい有様も含めた暖かさを、もののあはれ、の一側面と思うようになったのであります。もちろん勝手なことですが。
ようやく、小林秀雄をまた読み直せるだけの心構えができてきたのかな。そうだとすればとてもいい秋だなぁ。