下を見たって、一瞬の弛緩は味わえるかもしれないが、落ちて行くならそれは破滅への道だろう。いくらだって落ちていけるし、落ちるたびに、給水できるのかもしれないが。
一方で、上を見上げても、頂は遥か上。いや、正直、頂があるのかすらわからないし、このまま登っていくと、本当に登れるのか、全く確証はない。確信めいたものがあるような気がするだけ。
色々なものが急な下り坂を転がっていく、それがまじまじと分かる、身にしみる年齢になって、さて、どうしてゆくのかと。カンフル剤、ボートで言えば脚蹴り20本を入れるとして、入れ方は難しい。むしろより下る速度が増してしまうだけ?リズムを、考え方を根本的に変えることが大事。でも、どうやって?
こういうことを考えるのはつらい。しんどい。何かにつけて文句を言いながらも、現状に甘んじて、現状とおててつないで優しく転がり落ちていく間にゲームオーバーに、、なんてことを実は考えていたりする訳だ。しかし、現状は変わらない。圧倒的な力で物量で飲み込み、内包し、中にいたらゆっくり、に感じるように優しく転がり落ちていく。
内部観測の呪縛からなんとか逃れるためには、動き続けるしかない。それが長い学生生活の中で得た自分の作法だけれど、それがいいとは言えない。言えないが、もがいた結果の停滞、停止なのか、単なるエネルギーを失った停止なのか、そこを見極められるように、他人の真摯な努力に鈍感にならないように、そのためには、自分にできる術はあまりない。ないのだからやるしかない。
もうすぐ2015年がおわりますね。