Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

そういうことに

昨日のボロボロ状態からは回復、したことに。


キリンジビブラフォンばかり聴いている。


人気者は大変だ
できる人は大変だ
で済ましていたら、確実に大きな障害に近づいていることになる、というのは過去の事例に当たらなくても自明なこと。マネジメントの問題なんだから、なんとかせなあかん。マネジメントの日本語訳が見当たらないのが、わかっていない証拠。


なんでもできるなんてありえない、ありえないという言葉を使うにはあまりにも遠い。しかし、できなければならない最低限、はあり、しかもそれがかなり自分には難しい。どうしたものか。


大学における研究室運営の最適な姿が見えない。見えていると思ってきたが、見えない、と一度言い切るところからやり直そう。見えないなら規範がなく、規範がないなら叱ることも叱られることも、反省することもできないではないか。


職人的論文


英語の行間が読めない。日本語でも読めている気になっているだけか。


あまりな10月の予定に、ついに、最後の砦を崩さねばならなくなりそう。それでいい。大事にすべきものと思うものを壊してみるのは悪くない。泣きそうだが、泣けばいい。なぜ大事にすべきと考えているのか、根底を揺さぶられるのは苦しいが、逃げるべきではないし。


パッとフィルインで入ってくるオルガンの少し濁ったフレーズを聴いていて、どこにも意思がみなぎっている、なんてことを思うのだが、さて、フィルインなんて言葉をどこで知った?検索したら確かに意味はあっているが、、、


悶々と考えていた四年から修士1年まで、もっと哲学書を読めばよかったのかもしれない。が、道標があったわけでないし、あんなもんか。何をもんもんとしていたのか、名前だけでもつけられたら楽だったかも。よく考えたら、学部のころの道標はアメリカに行ってしまった高校の同級生の、妥当性って言葉知らないの?とか、クワインポパーでいいよ、なんて一言だけだったのかもしれない。クワイン京都賞は1996年、修士2年か。科学哲学の良い本がこんなに手に入るようになるなんて。


自分の専門性、、、か、、、こないだのパパ会では、時給で4-5万計上される話をしていたけれど、自分の専門性はどこにもない、という気がやはりする、、、今度、学外の委員を引き受けるけれど、どの立場で何を意見するのかは、周りを見て、、、かな、、、。


系を見るときに、プレイヤーではなく、むしろ見えないつながりに注視すること。ボールの無いところで何を考えて、どう準備しているか、と問いを直せば、意外と考えやすくなる、、、かも?

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/