Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

袋小路

部屋に戻ったら卒業生たちは既に出払ってしまっていた。


暮れて行く空の下、回り回る炎を見ていたら、案の定怪しい気持ちになってきた。


小林秀雄が、死んだ人がどうしてあのようにしっかりしてくるのか、と書いているのとおそらく同じように、卒業生たちはとてもしっかりとした、一角の人物に見えて帰ってくる。
それは様々な意味で大変うれしいことなのだけれど、一方で、自分はどうなのか、と思うと、暗澹たる気持ちになる。自分は彼等の頃なにを考えていたのか、なにを感じてきたのか、それらのいくつを今は考えることが、感じることができているのか、と思うと、自分の一秒一秒が、どんどんとなにか袋小路へとゆっくり下っている坂道のようだ。


本当は、卒業した先輩たちに比べて、在校生たちの頼りないこと!なんて話をずらしたいのだけれど、たとえ頼りないとしたって、その頼りなさを生んでいるのはこちらの指導不足であるわけで、結局、自分はいったいなにをやってきているのかしら、ということなのだ。


青春と勝手にある時期を名付けて振り返るようになったら青春はできあがるのだろうと今でも思うけれど、自分にとってそういえば学園祭というのは部活の練習でほとんど経験がなく、よくよく考えると本学での学園祭が初めての体験であるのだけれど、それでも、もう、だいぶ遠い存在だと思って、揺れる炎を眺めていた。



就職して間もないみんなだって、残業が大変だとか、上の人を見ていたらどうしようと思う、とか、誰も彼もが不安を抱えている。当たり前のことだけれども、混じりっけなしで、脳天気に幸せな時間を過ごしている人なんて一人もいやしない。誰も彼もが誰も彼も、それぞれの悩みと不安を抱えて、毎日一生懸命あがいているのだけれど、なんとなく、ふと、自分だけ取り残されたようになったりすることだって、ないわけではない。卒業生とお酒を飲むことが、教員としての一番のご褒美だと思っている僕にとって、今日は残念ながらお預けの状態であることもあるのだろうけれど、はて、自分はいったいなにをやっているんだろう、なんて考える。


常日頃考えることだけれど、喜びを与えてくれるのも、とてつもない悲しみや苦しみを与えてくれるのも、人である。今日はみんなに楽しいと言うより、色々考えさせてもらった。あと3ヶ月少ししかない。この貴重な時間を、研究室のみんなとどう過ごすべきなのか、なにが一番ベストな道なのか、それをちょっと違う視点で考えるべきじゃないの?ということかもしれない、と。


なんて考えながら、MさんとHしとVJ見てたら恢復した。音っていいわなぁ。。。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/