物事を考えてゆくときに必要な能力というのがいくつかあるのだろうが、そのうちの一つが、問題をどう再定義できるか、を考えることの出来る能力だろう。
針の上で何人の天使がダンスできるかを考えてもやはり仕方がない。「検証可能な」仮説へ、問題へ、どのように複雑怪奇な現実を再定義できるか、ちがうものの見方をすることが出来るか。そんなknow-howは存在しないだろうけれど、ケーススタディーとしては至る所に落ちている。自然科学研究なんてその最たるものだろう。
一方で、検証できない問題を考える機会も重要なのだが、、、こちらについては日々、どんどんと減っている。業績至上主義の弊害といえば簡単だが、果たしてそれだけだろうか?根本的に、考えにくいことを出来ないなりに考えてみる、その耐性が失われているのではないか?
とかとか。ずっとこんなことばかり考えているし書いているけれど。