Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

仮説は優しさ

〜〜で重要である。
しかし、これまでやられていない
だからからやりました。


ってのは、やっぱりまずいよね。何故やられていないのかがわからないのはつらい。重要だといっているのにやられていない、その間にある矛盾について、どうしても気になるし。



仮説がない発表は、どうしてもdescriptiveになりがち。そのdescriptionを聴衆がなんとかstoryとして再構築してゆくことになり、どうしてもその過程で、足りない情報があるから、misleadingになってしまう。


仮説をきちんと立てることで、示すことで


どうやってデータを理解したらいいのか
その仮説が検証する価値があるのかないのか


を示すことが出来る、と思わないですか?
たしかに、スライドは2枚増える。けどね、だけれど、ですよ。



それと、何が新しいのか、のアピールが必要。研究だから。車輪の再発明でないことを丁寧に伝えることは常に気をつけるべき。


身内で、周りでやっていないからやりました、という空気は、やはりとてもまずい。世界で既にやられていることを同じレベル、同じようにやったって、あまり意味はないはずだから。

研究室内での努力賞は、個人的な努力賞と同じく、やはり、ほんとうにまずい。今後、社会に出たときに、結局自分の会社、部署、周り、身内、そして最終的に自分だけの視点でしか自分の成すべきこと、成し遂げてきたことを測れなくなる、その危ない階段を下りてしまう第一歩に思えて仕方ないのだ。

国際的とか世界レベルで、という言葉を使うのは、ちょっと恥ずかしいことだし使いたくないが、どうしてもそういう視点から自分のやっていることを考えていますか?と投げかけたくなる。ほんとうは投げかける必要はないはずなのだけれど。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/