人それぞれ、それぞれの論理があることに、当たり前のことなのだろうけれど、びっくりする。びっくりする自分にも正直悲しくなりながらびっくりする。
自分の勝手な論理が受け入れられることはほとんど無いことは、それこそ幼稚園の砂場で学ぶことであって、大学で学ぶことではないはずだ。
それをちょっと高尚にしたもの、つまり科学的な論理展開を、ケーススタディーとして再度、再度、学び直しているだけなのかもしれない。
ただし、学び直せるのか、学び直せないのか、それはその人自身の考え方ひとつであることに、気づく人はもちろん気づいているし、気づかない人はずっと気づかず貴重な機会を失ってばかりであろう。残念なことだ。