Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

えらそうになる駆動力

えらそうである。

 

ほんまいやだけど、えらそうだ。

 

ただ、

断言しなければならない、判断しなければならないことが多い、多すぎる

そして

ぶっちゃけ、自分の情報量がさすがに年をとっているので多い、微妙に多い

 

まぁ、ここからはかけないが、、、、とにかく、勘違いしながらえらそうになってゆく駆動力は自分の中にも外にも強力にあると言うことだ。

 

それは悪いことではない、きちんとえらいことをすればいい、というのはもちろん簡単だけれど、その「えらいこと」、「ちゃんとしたこと」についての認識も自分よがりであることが大きな問題だ。

 

あまりにも袋小路で、もう、諦めるしかないと毎日思う。今も、できることならぱっと車にのってどこかに一晩中行ってしまいたい。しかし、、ラーメン屋に寄るくらいしか能がないやんなぁ、と家でみんなに話していた。不良っぽいことすらできないのかいな。

 

査読でrejectされても、えらそうだから、なんか突っぱねるし、自分がrejectしようとするときも、なんだかえらそうな書きっぷりだったり(英語だから制御できないけど、、、)。何回も考え直して、rejectは避けてみたり、このこと自体、かなり偏見入っているんじゃないの?とまたがっくりきたり、、、

 

もっと素直に、音を、言葉を、思考を捉えるべきなのよ、おっさんが凝り固まってしまっているからこそ。そうでないと、違う駆動力を持ってこれない。

 

うにゅ、、、、、

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/