Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

大縄飛びをみんなで飛ぶように:「ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』 「会話」を守る (NHKテキスト 100分de名著)」(朱 喜哲 (著))

ひどい日常は続いてますが、今日、今日の半日は、とにかく自分にインプットするのだと決めて、メイルを読まず、PCはbackupなどとらせて、その間、何を読むか考えてました。

図書館で雲核についての1冊を眺めてしまったが(これはまさにお仕事の一端)、今日はローティの予習にしました。NHKテキストは時々本当にすさまじい素晴らしさの内容があると思うのだけれど(1992年の大江健三郎氏の「NHK人間大学 文学再入門」は衝撃的だった。どこかに残しているかしら、、、、)、本書は本当に読みやすくかつ内容の詰まったもので、学生さんにも是非勧めたいと思う。600円でこれが読めるというのは(まだ放送は始まっていないのでそちらも楽しみだけれど)、とてつもなく素晴らしい文化体験ではないのかしら。

 

www.nhk-book.co.jp

丁寧に自由を、人間社会の良心を、「われわれ」を拡張してゆくために、どのように少しずつ歩を進めてゆくべきか、その道標となる歴史が綴られています。あまりにも内容が濃くて、息を止めて読む感じで、切り抜くことも難しいけれども、たとえば、この3箇所をあえておいておこうと思います。この本(手引き書になるのでしょうか)を通じて、たとえば、われわれ、を考えるときにうまく取り扱えない「多様性」をどう語るか、という、自分が直面している難しい問題にたいして、「会話を止めないようにする」という視点は、実際的な手業としても、大きな概念としても、とても支えになると思いました。本当にありがたいです。

 

再記述は、抽象度を上げて真理に近づくというよりは、並列的な言い換えによって理解の"襞"を増やしてゆくことだといえます(p29)

 

つまり、「必然的な本質を共有しているわれわれだから、わかるはずだ」ではなく、むしろ本質など持たない、互いに偶発的な存在であるからこそ、何かしら一緒にやってゆくことができるという可能性が出てくる。(p33)

 

このテーゼは、人は矛盾した複数のブキャブラリーを携えて生きていくことができる、私たちはいつでも自分を語り直し変わってゆくことができる、という自由さは風通しの良さをもたらすものでした。(p62)

 

素晴らしく丁寧に、手を常に差し伸べてもらいながらナビゲートされていると思いました。感動的ですらありました。読むことができて本当によかった。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/