Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

自分の話をしよう

木曜日と金曜日は研究の話をかなりしていた。研究者でしょと言われるけど、研究ほとんどできていないのが実際で、日中の間に300くらい来るメイルの100程度は管理運営関係で、それらがとても大事なのが日常。なので、やっつけてもやっつけても足りない。研究のメイルなどは後で、って思っていたら1週間、2週間、、、

 

 

それはともかく、研究というよりも、前回の生態学会以降大事にしているのは、積極的に人と人とをつなげること。大事にしているだけで、かなりうまくいっていない。いっていないけど、やり続けるしかない。これはしんどいけど、やるべき事だ。

 

J○○の伊藤さんとお話ししていて、いろいろなところに感銘を受けるが、感銘というので止まらないその理由は、自分と同じ方向を向いていらっしゃるという所にあるのは、バイアルがかかっていることを認めながらも、やっぱり素直に感じる。50代、やるべき事は自分がどうこうじゃなく、みんなをどうしてゆくか、IじゃなくてWeという主語で話し続けられるか、だと思う。

 

このWeではなくてIというのは、簡単そうに思えるけれど、かなりできない。うわべのWeを使う人はすぐほころびが見て取れる。みんなそれを分かっているけど、なかなか隠し通せない、というのがこの論点の大事なところだと思う。みんな本当はWeとはいいたくないのかも、と思うことも結構増えた。自分はどうなんだろう、と毎日考えるけど、かっこつけるわけではなくて本当にWeでも、それこそ自分が抜けてTheyでもいいんだけれど、とにかく少しでもよく、少しでも前に進んでくれたら、そこに自分が直接的に貢献できなくても、間接的どころか、なにか関わってたっけ?くらいでもいいから、とにかくなんでもいい、先に進もうよ、少しでも良い環境に変えてゆこうよ、目標達成が目的で、そのために自分ができる事をするつもりだけれど、貢献が結果としてできなくてもかまわない、自分は自分で頑張れることを、頑張りたいことを、頑張れと求めてもらっていることをやるから、とかおか。

 

研究でなくていい。なにか頑張りたいこと、頑張らねばならないと思っちゃったことに対して、精一杯、みんなでやろうよ、ただほんとうにそれだけ。で、多くの場合、そうなっている(自分はやっぱり根本的なところで人を信じているお気楽ものなんだとおもう)けれど、それぞれの精一杯の頑張りがどうしてもねじれたりぶつかったりしているだけで、それを交通整理することが大事、そういったことが自分の役目だったら、それは得意不得意ではなく、ただ、頑張ってやってみましょうよ、ということ。

 

ならば、Weという主語を持ちながら、結局は自分の話をしようよ、ということにつきる。

 

なんどくりかえしてもいい。なんどだまりこくってもいい。自分の話をしよう。声にならなくても、言葉にならなくてもいい。心の中で自分の話をしよう。曖昧な他者をいれてごまかすことになれすぎてしまっている僕らが僕らを取り戻すことは、いまや大変な作業になっているけれど、取り戻さないと、何もかも忘れてしまう。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/