Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

これでもむっちゃ悩んでます

このところ、じっと考えていると、周りがどんどんと動いてくる。相談に乗る。たいした応えができるものでないものが多いけれど、、、、

 

 

動いている周りの景色の中で、自分は果たして何をなすべきなんだろうか。

 

 

今日は0930から1600までというすごい会議だったけれど、本当に有意義だった。一方でほぼ完全に自分を見失ったというのも正直なところ。

 

 

大学陣という職業に就いている自分が一番大事にしたいのは、自分の周りの人との関係性であって、それが「教育」とか「指導」という言葉になる学生さんとの間に一番時間と労力をかけたい。次に、自分が主催するプロジェクト(研究にとどまらない)に関連して集まってきてくれた人、たとえば研究者の皆さんについて、いろいろな関わり合いがあるにせよ、とにかくできる限り自由に、そしてできる限り自分が思うような歩みを進めてほしい、それを支えたいというのはえらそうで、できるだけ邪魔しないようにしたい。部活もしかり。さらにその周りにはたくさんの、国内外での共同研究者、というか、同僚というか仲間がいて、一緒に少しでもわかることを増やしたい。

 

 

しかし、こんな話をしていると、「あなたは何がしたいのですか」ということになる。何がしたいのかというのに対して、「ただ考え続けたい」なんてことをいって逃げられた若かりし頃はとうに過ぎている。正直なところ、「教育」(「」つきだけれど)には心底興味があるので、そこを自分でいろいろと手探りできることを許される立場を死守するために必死で研究をやったり運営をやっている、という感じだ。なんなんですかそれーっていろいろと怒られるのだけれど、本当にそうなので仕方がない。自分の研究が環境の理解に役立つようにとは望むし、うそはないけれど、その言葉はなんと無しに舌触りが悪いところがある。もっと生々しい要求を聞きたい人がたくさんいるのだなぁ、とおもいながら、もっと生々しい言葉、たとえばどうしても研究したいんです、世界の秩序の一端を明らかにしたいのです、というような重い言葉を想像してみるのだけれど、やっぱりうまくいかない。

 

 

こんなのらりくらりとやっている人間でもなんとか生きていけるんだという反面教師を突き進むというのも手なのだが、さすがにこの年になると、そういう役割は扱いにくいし、端的に言えばいじりにくいのだと言うこともわかってきた。でかいおっさんはいじりにくいわな。。。。

 

 

実際、目の前に飛び込んでくる事案はどれもこれもなかなかにタフで、見通しがつかないし、ちょっと間違うと大変なことになるものばかり。センター長が矢面に立ってくれているから92%くらいをはじき返してもらっていて、残り8%を対応しているに過ぎない。5%よりはおおいけれど、正直10%も対応できていないのが現状だ。全方位的な「攻撃」を受けているときに、攻めと守り、どう使い分けていくか、自分にはまだ見えている地平があまりにぼやけている。

 

 

もっと現実的な所に逃げよう: COVID-19で研究はそう簡単に進まない状態だ。しかし、キャリアを積まねばならない仲間たちに、「そう簡単に進まない」という状況を提供し続けてしまってはどうしようもない。なにかできないか、なにか彼らが成長できること、やりかた、機会はないか。自分が苦手でもやったらいいことはないか?たとえばモデル?シミュレーション?小さな培養実験、飼育実験?ビックデータ解析????

 

 

ミッションをどう定義するかということを散々考えているけれど、その前に自分のミッションはなんやねん、ってことから逃げているだけなんだな。。。

 

 

主力IRMSがどうしようもない状態になっていて、果たして直せるのか、ということもあったりするんだけれどね。。。。やっぱりこれを機に、ほんま、大展開を考えるべきじゃないだろうか。いっそ外注にシフトするとか。その分、学生さんを含め、多くの仲間と議論することに自分たちの限られた能力を使うべきではないのか???とかとか。

 

 

とかとか。。。。

 

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/