電車通勤の時は論文を眺めていた。すぐに寝てしまうのは学部生の頃から変わらないけれど、でも、5分でも眺めることが大事だったと思う。
今、通勤は車になっていて、ぼんやりすることはできないのだけれど、朝は英語を聞いている。もうかれこれ1年以上継続できているのでこれはこれでいいとして、帰りだな。英語を聞くと一日の疲労もあるし、眠くなってしまうので音楽を聴いていることが多い。これはこれで自分の心理的な状況が分かるので(音が響かなければかなり塞いでいる状態だろう、とか)、いいのだけれど、どうしてもあきる。ストリーミングに手を出すのもありかもしれない。あとはKindleの読み上げか。
じゃあ、何を聴きたい?何を読みたい?ってことになるわけで。
「他者の苦痛へのまなざし」や「存在の大いなる連鎖」なんて、もちろんKindleにあるわけじゃないのよね、、、
もう一度昔の読み方に戻って、だれか一人の作品をすべて読む、としたら、誰を選ぶだろう。もう一度小林秀雄に戻るべきなのかもしれない。または、トルストイ?クンデラ?でも、生態学の古典を読む方が大事じゃない?とかとか。。。音楽もそう。
ま、しかし、そんなことをぼんやり考えるのは楽しい。一方で楽しいとかいっていると時間は過ぎる。人生は本当に短い。