東工大の頃、Aべっちが「毎日、論文みては、あんなにこんなに、いろいろ出てて、自分は何でできないんだろうって焦るんですよね」っていってて、おいおい、おまえほど頑張ってて賢いやつがそんなこといわんでええやろ、って言ったか思っただけだったか、そんなことがあった。制限が強烈にあった中で精一杯頑張ってたよなぁと。
この数年、おおよそ同じような感情が、毎朝の文献漁りで出てくる。焦りではなくて、なんというか、亡霊になった感じで、よりよくないと思うけど、正直そんな感じ。もっと悪いのは、論文1本眺めるのに数えると5秒くらい(図表をザッピングしているだけ)なのだけれど、その印象が「昔一生懸命読んだ論文との対比」にしかなっていなくて、かなりのバイアスというか思い込みがあること。さらにその思い込みが「どうせこういう結果でしょ」にとどまらず「だから~~で、XXで、そんなもん」で、さらに「だからそれほど面白くないんだよね」になる。まさに、小説書く書くといって、ほかの小説をただ批評して一文字も書かない人の状態。反省も失敗もしなくていいからね。。。
これまでの頑張っていた学生さんの頑張りから学ぶことは多い、どころか、まなぶところしかない。論文を書く、ということ以外のところが今は正直仕事になってしまっているけど、それも言い訳でしかないのかもしれない。何をやるか、何をやるべきか、何をやりたいか、その辺の大きな乖離に折り合いをつけてゆくことは実際にはかなり難しくて、そうであれば、自分はともかく、せめて周りの、これからがある人々の持つ乖離を少しでも緩和する方に自分は努力すべきなんじゃないだろうか。
など、Aべっち修論に自分が何ができたのだろうか、と反省しながら、、、今日もピークはゆがんでる!!!!!おーーい!!!!