30過ぎた人のいうことを聞く必要はない。それはいいんだが、
いっていることを鵜呑みにしたりそのまま従うという意味での「聞く」はいらないが、実体験に即した経験からくる言葉をいったん聞いてみる、という意味での「聞く」は支持してほしい、
と考えてる。明示的に考えたのは滋賀に行く電車の中で、ようやく、だけれども。
そして、現実を認めることと、その現実にがんじがらめにされてしまうことは、同様に区別できるし、区別すべきだ。認めることは仮固定、その固定されるべきものを実際にどう固定すべきかは、別問題だと考えていいはずだ。嫌な事実には向き合わねばならないが、その事実のまま過ごさねばならないはずはない。
仮固定とすることで、現実と戦う地盤ができ、そこから走り出す力もわく。それでいい。
ようやく歯車がほんの少し動き始めた、かもしれない。