「ストーリー」が求められている、とは、よく聞くことだよね。逆にいえば、真実は求められていない?うーん。苦しいなぁ。
気になっていたけれど、鳥羽さんのこのポストみてノックアウト。朝5時前に寝ぼけながら、綿野恵太『「逆張り」の研究』、買ってみました。
「政治的部族主義」によってぼくたちは政治的な立場の異なる人間を「敵」とみなして、その言動をすぐに疑ってしまう。/都合のいい物語をつくるために、あらゆるものを疑っている。/複雑な世界を単純化して、物語に合わせて捻じ曲げていく。「真実はいつもひとつ」ではなく、「物語はいつもひとつ」
— 鳥羽和久 KAZUHISA TOBA (@tobatoppers) 2023年12月18日
もちろんまだ読めていないけれど、最初の方を読んだだけでよい予感がする。
自分のあと3回の授業、自分の研究における格闘はまさに「逆張り」の歴史なんだよな、ともおもう。全くこの言葉に悪意を持って使ったことはないのだけれど、いろいろあるのだろうな、、、高校の頃、株の本を読んだときにはじめてこの言葉に触れたけれど、いいやんそれ、って思ったのを今でも覚えてる(京大気質、ってことなのかもしれないが、、、)
うまく疑うために、どれだけこれまでの研究をさらって、そこに敬意を持ちつつも(ここは大事で、敬意がわかりにくければ「その時代の人々が全力で手持ちの知識を総動員して議論した結果なので、その真摯さは今でも変わらない。変わっているとしたら知識が書き換わって増えていることくらいかもしれない」というのは強調しすぎてもしすぎることはないのだけれど、うまくつたわらないかもな)、少しずつ曖昧な議論がもたらすほつれが大きくなっていっているところに気づき、気づいた上でそのほつれをほぐすためには、かなり新しい考え方、測り方が必要で、それをなんとかひねり出し、やってみる、ということ。うまくいった例は自分では本当に少ないし、10年前はそれで評価されたけど、今では新しい知見によってその考え方、ほぐし方はたりない、とわかっている、ということもある(それも講義する)。けど、大事なことは、それを続けてゆくこと、正しいといえることはなくとも、反駁を続けること、って話をあと3回でする。その3回のためには12回の基礎が最低限必要なのよ、ってこともじんわり伝わるといいのだけれど。
正しいことと信じること。小林秀雄をまた読み直さないとなぁ、とか。
さあ授業だってば。
https://x.com/tobatoppers/status/1736794560150614231?s=20
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