いろいろと自分としては頑張っているのだけれど、うまくいかない、結果として残念な結果、というようなことが立て続けに続いている(萌芽落ちたし・・)。
そんな中、今日は接種にいってきた。丁寧に対応していただき、よく考えられた動線管理のなか、スムーズにことは運び、難なく終わった。難なく終わるということの裏側でどれだけの人がどれだけの努力をしてきているかと思うと、ほんとうにただ、ほんとうにありがたいです、ということしか出てこない。
帰りに買ってもらったふたばの和菓子が何もかもとてつもなくおいしくて、それよりも何よりも、そのおいしさを子供たちがわかっているのがとてもうれしい(先日飲んだシェイクはすぐに変な顔をしてくれたのも面白くてうれしかったけど)。
なかなか届かないなと思っていた本が届き、一気に読みたいのを我慢している。ただ、今回は一気に読むのではなくちょっと時間をかけて、きちんと感想を書きたい。そう思ったときに、自分が素敵だと思うようなもの、自分の好きという感情に向き合うということの1つとして、好きなものについて、素敵なものについて、きちんと時間を取って文章にする、ということをやり直すべきだなと思ってきた。
昔はなんやかんやと
Kei Koba's weblog in CER, Kyoto University
よくいろいろと書いていたのでした。1年に1度くらい、検索していて自分のweblogに当たることがあるけれど、はっとさせられることが多い。シンク切れの多いこの古いweblogの中でも、今でも繋がっているものがまだ拾い上げられる。なにより繋がっているけれど、明示的にはもはや思い出せなくなっている言葉たち、たとえば
私は、常識から見識を、見識から良識を発見するのには、知的なものの見方が必要だと考える。
とか、はっとする。この本は306の本棚下の開かずの扉にあるけれど、あるだけだった。こうやってサルベージしてあげないといけないのに、そういう時間を取ることができていない。
「推し」といってもいいけれど、素晴らしいもの、素敵なもの、自分が良いと思ったものを産みだしてくれている人が、環境が、奇跡のようなつながりが確かにある、それらがあるということに、素直にありがとうとつぶやけるように、もう少し内省する瞬間を(時間を、とはいえないかも)きちんと取りたい。通勤途中、ちょっと車を止めたりするべき何だろうな。とか。
いや、なにって、ふたばの水ようかんが最高においしかったってことなんですけどね。はい。