Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

電子的にもう一段

2006年の異動に伴い、できる限りリモートでできるようにと心がけてきたつもり、、だったのか。

 

* 近いとずっと「仕事」してしまう。むしろ学生時分の方が17時にかえって、定食屋さんによって、家に戻ったらだらだら関係ない本を読んだりして、区切れがあったかもしれない

 

* だからあえて時間をかけて通勤する、ということにしようと思った。家庭の事情もあって中間地点に居を構えるのではなく、濃淡をつけた。

 

* 土日には実験以外行かないと決めた。2006年に異動してからは、滅多に行かない、と心に決めた。しかしどうしてもデータが必要だったりすることがある。また、検索をフルに活用する必要がある。検索できない電子データなんてデータじゃない。

 

* なので、そうか、、、namazuサーバーとか自分で立ててとにかく全文検索全文検索、何でもスキャン、、ってやってきたんだった。。。クラウドVPNも結構早く着手したんだった、、、のか。それなりにお金もかけてきた、、、のね。今思うと。

 

で、今の状況。2011年くらいから、ほんまに有り難いことだけれど、PDの方、そして学生さんが研究室にいて、実際の駆動力になってくれていることもあり、研究室主幹としてはもっと見えない、めんどーな仕事に注力させてもらっている。これ、かなり電子的にできる仕事が多い(無論、会議や機密書類が多くなるけれども、それはそれ、だった)。

 

2016年に今の職場に異動してきて、特に2019年から、プロジェクトとは別に終活として未解決サンプル、未解明データと戦う必要が出てきて、自分でじみーな実験をすることが出てきた(でてきたっていったって、平均1ヶ月に1日くらいしかできないけれど)(でも、そのときに当たると「教授も実験するんですね」なんて言われる(外部からの人にうらやましがられる))(というか、みんないてくれるからそういう時間がとれる+やっている作業はdiffusion packむいたり、QMSの真空配管つないだりしているだけなんだけど、、ね)。

 

で、今回の状況。空気はごっそりonlineに移行しなければならないものに。浮かび上がったのはonline疲れだけれど、それは、この1ヶ月。これからその疲れた状況の中で、できないできないといっているところから、できることを増やしていくしかない。研究のペースは落とす、落とすけれど、教育のペースはそこまで落としたくない。たとえば研究が10%まで落ちても、教育は45%は死守したい。45%ではなく、今までの枠組みでできていたことが100のうち35%まで落ちたとしても、他の今までできなかったことをonlineでいろいろ考えて、そこを0%から1200%まで引き上げて(数学的にはハチャメチャだけど心情的に、、ね)、合計でぼんやり半分くらいまでactivity下がっちゃったけど、、3割ではないよね、、くらいにしたい。学生さんには未来が、本やりしか見えない未来がある。そこには少しでも光を指したい。PDの皆さんはその点有り難い(頼りになる)。みんなでがんばろう。

 

 

で、はんこ・書類は減らせない。だけれど、せめて自分の周りからはもっともっと減らしたい。もっともっといろいろ減らしたい=検索できるようにしたい(<--自分の記憶力が全く信用ならないし)。namazuサーバー立ち上げてうふふとかしていた自分が戻ってきた。

 

 

 

いま、2011年頃の学生さんのラボノートを確認しているのだが(結局電子的になっているデータでOKそうだけど、、、逆に言えば電子的に残っていないデータを探していたがだめだった)、そうよ、ラボノートなんとかしないと。

 

 

この数年でおそらく劇的にデータ管理を変えなければならないはずだし(数年の猶予があるかどうかすら怪しい)、天秤データからr2の計算、同位体比の補正からggplot2まで全部見れないといけない(実際、2011年からのデータをあさっていて、その頃見つけられなかったミスがある。データがあるからわかる、、んだよな。しかも学生さん達で、ラベル様式とか統一していてくれたので、、、、ありがたい)。

 

 

ってなると、ラボノート、電子的に、って永遠の課題にまたもどるわけよね。

とはいえ、試してみるためにラボのお金を使う訳にもいかない、、、し、、、

 

 

どないしようかな、、、でも、少しでも電子化したい。どないしようかな、、、検索するといろいろ出てくるのは出てくるな。。。。

 

----------------

 

テレワーク、そんなことで本格的に進めるけれど、、、ほんまいろいろなことが頭をよぎってなかなか難しい。テレワークできる仕事っていいわー!とか、この仕事できるために他の人に無理させてないだろうか(無理させてるに決まってる)、本当にすべきなのか、何かあったときどう行動できるの?とか、みんなさみしくないかな、とか、だいじょうぶかな、とか。「みんな」というカテゴリーが毎秒毎秒膨れたり縮んだり。これって「さみしい」ということの1つの表現型なのかもしれないけれどね。

 

 

また書こう。

 

 

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/