Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

何百回も書いたり言ったりしてるけど

いや、何百回っておおげさやろ、、と思い直したけれど、、、でも、、、、俺が間違っているのかなぁ、、と毎日思うのだけれども。。。(こちらは千回は超えてるとは思う)、、、、

 

 

申請書などで、「~~~の知見は少ない」 って言葉でおしまいになっている(そしてその後「本研究では~~~を、、、」と続く)と

 

1 そもそもそれ、本当に重要なの?重要じゃないから「知見は少ない」のではないの?

 

2 重要だとしよう。じゃあ、重要なのになぜ「知見は少ない」の?みんな頑張って研究しているんでしょ??なぜ?何か問題があるんじゃないの?

 

3 問題があるとして、それを教えてくれたとしよう。つまり「XXXという理由により、~~~の知見は少ない」。この時点で、俺としては大分好印象(ここまで書いてくれる人はかなり少ない)。だけれど、じゃぁ、XXXという理由があって世界中で、その重要性にもかかわらず研究が進んでいないのに、なぜあなたはできるの?一人の小さな研究者でしかないあなた(と、もちろんわたし)、が、なぜ世界中で(しつこいけど)、重要かつ未解明な問題を解決できるの?どうして?

 

という3段階が瞬時に頭に浮かぶ。

 

今まで学振はもとより、ほかの書類審査全般を見回しても、

 

1でおわるもの93%程度

2まで書いているものが5%程度

3まで書いているものは本当に1-2%程度

 

というのが実感。%はもちろん感覚的なものだけれど。でも、100こ見たら、2までは本当に3つあるか、3まで書いているのは1つあるか、だな、、、見ている申請書の規模が小さいというのもあるだろうけれど

 

 

だから3まで書いているものは、個人的には大変評価できる(この点では)。2まででも激レア。

 

 

一方で、これは俺の考え方であり、90%以上はこういう方向で書いていない=こういう方向では評価しない?ということも考えられる。となると、この点で自分の「戦略」は間違いになる。自分はこの「戦略」を大事にしているので、この「戦略」で評価するし、評価されるように申請書を書いていて、全く「戦略」がマッチしないときも多々ある。そのときは、次に向けてどう微調整するかを考えるけれど、諦めはつくようにしている。正しい正しくないはわからない(ので冒頭に戻るけれど)。が、自分の方向性は常に絞るようにして、だめだったときにきちんと反省できるように、というのを心がける。これで採択されなかったら仕方ない、XXXを自分はYYYと判断しているけれど、ZZZと判断されたら仕方ない、諦めよう、という感じで。

 

 

ま、悔しいけどね、、、採択されなかったら。身を削って書くからねぇ。

 

 

です!もどります!!!

 

 

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/