Vanity of vanities

Kei Koba in CER, Kyoto University, Japan

中国にいます

メイルのやり取りがおぼつかない、、、添付のダウンロード中です。


子供が生まれてからこの方、海外出張は控えてきたのですが、本当に久しぶりにかなりpureに研究の話をするために日本を出ました。よくわからないシステムの(とはいえ、街はすごく大きいし綺麗だし、ホテルもとても立派だし。大体、取ってくれて飛行機の席、これ、ちょっと高いやつだったはずだ)朝食を食べながら、ああ、これだと思ったのですよ。口に合わない。口にあわないことを嫌だと思ってしまう。昔はそんなことはなかったはずで、むしろそれを楽しんでいたはずなのに。こういうのがいけないんだよなと。体力が落ちていて、知力が落ちていて、知的好奇心が落ちる。これはいけない、と思い直すだけでも、いつもの環境をちょっと抜け出すことは必要だなと思った次第です。


今回はEAFESにきてくれるFさんに、そんじゃあ会いにいくよ(せめてものお礼に)とおもったら、窒素循環のワークショップが開催されることになり、プエルトリコノルウェーからも面白い発表があって、学生さんのパワーがものすごくて、圧倒されているところなのでした。学生さんがとても貪欲で、PIたちがお酒飲んでがちゃがちゃやっていて、いつまでたっても飲まされるし、もうなんだかなぁ、と苦笑いしながら(昨日は死んでましたが、今日はあのお酒をお湯で薄めてごまかすというテクニックで乗り切りました。無論3倍以上水を飲んでるし、ウコンは2倍飲んでますが、、)、いや、これ、大事だなぁと。


今回で、もう、彼らの研究の質に追いつくことはできないなと観念したところで、じゃあ、何ができるんだろうかと。望まれていることを素直に、真摯にやってみる。その過程で、まずいところは改めたらいいし、できることは(FさんもLさんも立派な教授になってしまって、大変そうだけれど、われわれが5年前では考えられなかったようなことができるかもしれない:学生さんの交流とか、面白そうな人を呼ぶとか、うまく正式な共同利用を結ぶとか)、やってみたらいい。それがあちらの望むことにつながるのであれば、そんな機会はめったにない。


ボート部の方もそうだけれど、滅多にないやり方で何か貢献できるなら、それが他の人の役に何かの形で経つのなら、それに力を注ぐことは大事だなと。はい、目の前のことできていないのに何を言っているの、とは思うのですけどね。ボート部も、学会も、生態研の中の外からは見えない仕事にせよ。


なんにせよpivotalな時間なんだと思う。今回。どうせやるならあと10年、死に物狂いで、今までやってこなかった、できなかった、できるとは思えないことを、苦しんでやってみたらいいんじゃないかと。仲間のために。と。


プレスリリースとか、学務仕事とか、文科省書類とか、あ、あの重い書類とか(Tさんごめん!)もうひっちゃかめっちゃかなんですが、みなさんの助けで何とかなってます。ほんますみません。。。。

本拠地はこちら http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~keikoba/